『21ジャンプストリート』と『22ジャンプストリート』を続けて見る。フィル・ロードとクリストファー・ミラー監督作を見てみようという試み。非常にアメリカな感じがするコメディで、しかしこの手の作品としてはドギツさは控えめなようで見やすい。チャニング・テイタム演じるジェンコのオラついてイケイケなハイスクールの作法が、エシカルであることがクールな世代には通用しないギャグがありつつ、だからといってオラオライケイケが抑圧ではなく一つの個性としてそのまま享楽されていて、そのうえで、科学の楽しさに目覚めるという塩梅が好ましい。しかし相対的にジョナ・ヒルのシュミットにいいところがなさすぎるとも思う。バディものといいつつ、とにかくチャニング・テイタムを愛でる映画だった。ひたすら愛玩の対象として単純化され、だからこそ滲み出てしまう知性を察知した観客の側が勝手にチャニング・テイタムに知的なチャームを補完していくようにして見る。つまりチャニング・テイタムはロッキーなのである。
今年度から一日の労働ルーティンが変わりそうで、そうなると読書や休息の配置も大きく移動が発生するし、日記のリズムも組み立て直すことになる。おそらく在宅の日が増えそうで、ふだん職場でやることがないときとかに細かく書き溜めておくような書き方はいよいよできなくなる。ほかにすることがないから書いて憂さを晴らすというありようが通用しない。わざわざ書かなくちゃいけなくなる。家にいるならその時間で本読むし、本読んでメモがわりに書ける日はいいけれどメモ取らずに読む本もあるし、とにかく一回通読してみないとメモも取れない本もある。そういう本を読んでいる時、じゃあなんで日記書くの?というのが難しい。奥さんがいない場所で奥さんに読んでもらう直近未来を想定して書くのはできるが、家にいるとべつに階段降りれば奥さんがいるし、しゃべればいいだけだ。書くとはやはりいまここに不在の誰かのためにこそ書くものであり、いちばんの宛先がそばにいては書く気が沸かない。読書メモの場合はむしろいつかの自分のための備忘であるから、だんだんとこの日記の性格も変わってくるのかもしれない。
