人に勧めておきながらちゃんと読んでない本というのはある。『AMETORA』もその一冊で、二割くらいのところで中断して二年近く経っている。というか僕より楽しく読めそうな人に勧めるのだから僕が読んでいる必要は必ずしもない。しかしいま読むとやけに面白くて一日で読んだ。やたらと美化され、形式化されたアメリカ。異国で独自に発展を遂げたアメリカ風の何かが、再発見されるべきトラディショナルの正典として本国で希求される転倒が面白い。
『ディスコミュニケーションの心理学』のなかで、他者の経験というのは共感はできるが共有はできないものであるという指摘がある。これは他者の記憶の話として出てくるのだがあえて繋ぎ間違えておくと、見たことがなく見ることもない、共有できないアメリカにそれでも共感し憧れることで作られたものがあった。活字プロレスとかもそうだな。実態の共有がないまま共感だけが膨らんでいく。
ところで昔から他者を美化するということへの嫌悪が強く、アイドルやスターに没入できたためしがないのだけれど、自ら進んで異様に美化されたイメージの供犠となるような物語はかなり好きなのだよな。
事実の偶像化でさえなく、どこにもない真っ赤な嘘に殉じてしまうこと。
どこにも実態のない異様に美化されたイメージを、本気で真に受けてしまい、実現してみせてしまう。そういうのは好き。というか、そういう嘘を観客もパフォーマーも含めて全員で「信じる」ことでその場限りはほんとうということにしてしまうような営為がものすごく大事だと思っている。
さらに飛躍するが、「うんちしない」みたいなばかげたアイドル像が失効していく様と、人権というフィクションを建前としても維持しきれないような「リアリズム」の台頭というのは根っこが同じ話な気がする。
日記を足を揉んでもらいながら書いているのだが悲鳴と誤字が止まらない。足裏だけでなく全身からぬるぬるした汗が吹き出して自分が海鼠みたいなぶよぶよしたやつになった気分。
