2026.06.12

きのうは生活上のメンタルブロックをひとつ突破できた感があり、即物的な行為でしかどうにもならないことはあるよなと思う。中年とは観念よりも行為にこそ説得される年頃なのだろう。通勤の終盤で雷が鳴り、建物に駆け込むと窓越しに土砂降りの音が聞こえる。

『資本主義が嫌いな人のための経済学』の右派パートを読み終え、疲れ、解説の吉川浩満が併読を勧めている『経済学という教養』を読み始める。序文から現代思想にかぶれていき過ぎた相対主義キッズどもを解毒するための本だと宣言されており、これこそ僕のための本じゃんと思う。こちらはモダニズムを舐め腐ってしまっている人のための経済学なのかもしれない。一章ではまず不平等に対しての「左派的誤謬」について検討されていくことになるようだ。

このあたりはまだ経済学というより社会学の領域だと前置きされているけれど、このあたりの整理は『ハマータウンの野郎ども』の日本版という感もあるし、いま読んでも非常に腑に落ちる。僕自身、競争から「降りて」自足しているという自覚が長らくある。しかし僕は、非流動的な階級によって規定された競争システムから脱落したところで独自の文化を形成しそれなりに満足している「野郎ども」ではまったくなかった。僕が「降りた」と自覚しているものは「野郎ども」文化内での競争であり、じっさいはむしろ学歴競争への参入をこそ意味していた。熾烈な競争から「降りた」つもりで実は階級の再生産あるいは上昇に与していた、というねじれは、ヤンキー文化が色濃い地方出身の同世代亜インテリたちにはわりあい共有されているものではないだろうか。「野郎ども」に対する憧憬と侮蔑のないまぜになった、同化と切断の両方を無理に演じたがる心性の根っこにはこのようなねじれがある。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員・文筆。楽しい読み書き。著書にプルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、いち会社員としての平凡な思索をまとめた『会社員の哲学』など。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。