ビジネスパーソンの自己を啓発し意識を昂揚させることを第一義にするような本をいくつか読んでいくと、自己を変容させかねない新規な知見というのはなくて、当たり前のことだけ書いてある。ではそこに何があるかというとこれらは意思決定者のケアのための道具なのだ。どれもマネジメントやリーダーシップという言葉を基本形にさまざまな流行語がフレーバーとして付与されはするが、そこにあるメッセージはつねに「率いる立場ってつらいよな。でも格好いいよ」という励ましのように読める。
この国の為政はあえてビジネスとして見たとしても自社都合で動いてしまってまったくユーザー目線を欠いたクズプロダクトを産み続けているけれど、こうした愚行を駆動しているのはこうした「率いる立場ってつらいぜ」というナルシシズムであるのかもしれない。
現政権を肯定する根拠として「俺たちマネジメント層のつらさ」を重ねてしまっている会社員的な発想があるのかもしれない。でも会社経営と為政とはぜんぜんちがうことだ。会社経営のアナロジーで語るにしてもお粗末な現状であるにせよ、ビジネスのアナロジーで政府を腐すのはけっこう危ないんでないか。
為政とビジネスというのは本来あまり重ねてはいけないはずで、それはビジネスであれば顧客は使い物にならないクズだと判断すれば買わない使わないという行動を選択する余地があるが、政治はいくらそれが非合理的なクズであれ捨て置く余地がほとんどない(ことになってる)からだ。いまの政治の問題は経済合理性だけを追い求めて人間味がないことではない。売り手都合先行のクズを買わないという買い手側の合理的選択が機能しない限り経済合理性も機能しないからだ。いまの政治とビジネスとの共通項はあるのは自己啓発的ナルシシズムだけだ。問題にするべきは政治のビジネス化──新自由主義と名指されがちな事態──ではなく、むしろ政治がビジネスとしても政治としてもイケてない事態なのではないか、とも思う。しかし誤解してはいけないのは、為政がビジネスに向いていないからといってなんでもかんでも民営化すればいいわけでもない。ビジネスが顧客のあらゆるニーズに応えられるのはターゲットを絞るからだが、政治の対象は全ての住民だからだ。
政治の顧客は原理的にセグメントで限定できないのだからビジネスの論理でニーズに応えてくのは無理、と諦めるべきなのかもしれない。そもそも政治にいるのは顧客ではなく全住民だ。特定のターゲット顧客向けに偏った施策ばかり打っていくようなことは本来国や自治体のやることではない。皆に行き渡るべきものを行き渡らせるインフラとしてあって欲しいなあと僕は思う。
インフラや福祉といったはビジネス化してはいけないというか、ビジネス化しようとするとすぐに歪みができる。たとえばケアの現場を考えればすぐに思い至るが、顧客満足を志向すればするほど従業員の搾取なしに成り立つことを想像するのは難しい。こういうところにこそ公的援助という形での再分配がなされればいいのに。
COVID-19 周辺の決定の遅さに苛立つことは、行政や立法をモーレツ社員的にがさつにドライブしていってほしいという欲望にスライドしがちかもしれないが、これはよくない。そもそも意思決定の冗長性をもたせるというのが民主主義の要であるはずで、ある一権力機関にスピーディな決裁権があるという事態は非常に危ういはずなのだ。
国や自治体は会社じゃないので、仕事が早いことや特定のターゲットにめちゃくちゃ喜ばれることを求めてはいけない。そういうのは会社などの事業体の役割なのだ。国や自治体の役割は、ゆっくりきちんと万遍なく実施すべきものごとのなかにある。速さがどうしても必要なとき、会社が公共的な役割を果たすことはあるだろうが、速さはどうしたってきちんとすることや万遍なさとトレードオフだ。後追いでいいから行き渡らせること、それは地味で面倒で褒められることも少ないかもしれないが、だからこそ会社が苦手とするところであり、公が担うべきところなのではないか。たとえば今のような状況では、たとえば医療機関やワクチン調達部門に金だけ出して口を出さないのがいちばんの正解なのだろうし、そういったお金やものの流れを常にオープンにすることが肝要だろう。お金やものの流れどころか、あらゆる議論に透明性がまったくない密室としての行政にはすでに公としての要件を満たしていない。──あえてビジネスの話をまた引き合いに出すのなら、昨今は私企業すら透明性が求められるというのに!
公的決定は議論の端緒から決定まですべて公開されているべきだし、特定のターゲットでなくあらゆる住民への流通を志向するべきだ。要約するとこれだけのことなのだけど、Twitterに書き出したらどんどん書けてしまって、途中から慌てて日記のほうに移った。どちらにせよとりとめはないが、Twitter 以上に日記は線的なので、とりとめもなさすらも何かしらの流れを持ってしまうようで面白い。
