2021.06.06(2-p.53)

朝は一昨日のカレーでうどんを煮たの。今日は雨だけどもそろそろ限界なのでお出かけしないとグレます、と前々から宣言していたので、天気はよくなかったけれど家を出る。昨晩から奥さんは外に出るの面倒くさい、と言い続けていて、そうやって心底面倒な外出を僕に付き合ってやってくれるというのは愛以外のなにものでもないが、面倒なことは面倒なので僕まで天気に負けて面倒になったらもう二人とも絶対に家を出ない。そういう危機感がありながらも僕まで面倒に思いかけていたが、なんとなく評判のいい『アメリカン・ユートピア』を、トーキング・ヘッズはほとんど知らないがスパイク・リーだから間違いないという適当な気持ちで、なんかいいらしいから行こうね、とチケットを取ることでちゃんと家を出ることができた。ほんとうは日本橋の前に浅草によってお茶するつもりだったけれど、ピンチョンをキリのいいところまで読んだり指輪を取りに戻ったりしているうちにバスを逃して、諦めて電車で直接日本橋に向かうことに。コレドの路面の鶴屋吉信で抹茶と練り切りのセット、季節のあんみつ。おいしいし、甘いし、静かで広々してるし、ああ、こういうのがしたかった! と大満足。隣の地下でうどんと天丼、あるいは海鮮丼。奥さんのうどんも手伝っていたらすっかり満腹。隣のカップルの会話が、お互いに払うコミュニケーションコストの不均衡が顕著で、わあ、イケてない会話だ! と嬉しくなった。店を出てから隣の二人の会話を再現して遊んだ。

いい時間で、階上のTOHOシネマズへ。あの空疎で下品な笑いで安直に間を埋める兎の広報アニメはほんとうに最悪なのでいつもだったらそれが終わる頃に劇場に入るのだけど、きょうはうっかりその前に着席してしまって、律儀にイラッとした。なるべく話を聞かないように奥さんとその後の予定の相談を始めて、終わったら奥さんのお友達の展示を見に六本木へ行こうと決めた。メールでもアンケートのお願いが来ていたが、紙兎に回答を促されたので、絶対に答えてやらねえと心に決まった。ほんとうに嫌い。それで『アメリカン・ユートピア』。開始直後からずっとずっと最高で、満員の静かに揺れる劇場が映るたびに泣きたくなった。劇場というのは、ほんとうに尊い場だなあ。デヴィッド・バーンは僕は知らないおじいちゃんだが、とても魅力的で、なんだろう、皮肉屋でチャーミングな知的な人はたくさんいるけれど、皮肉屋でチャーミングで知的で屈託のない人は稀有だ、と思ったというか、知的なのだけど小難しいことがなにひとつなく、ぜんぶ説明してくれる。それでいて、どこまでも醒めていて、観客を啓発しようとか、そういう教権的なところがまったくない。こういうパフォーマンスを白人のインテリ高齢者をフロントマンとして、おなじようにほとんどが白人のインテリ高齢者相手にやっている、それをスパイク・リーが撮ることの意味が大きくて、ぐっと射程が広くなる。なにより、優しさや賢さがここまでストレートに楽しい! 格好いい! をやりきることにはやっぱり希望しかなくて、社会的な訴えを、観客に居心地の悪さを感じさせることを通じて出なく、素直な楽しさを通じて自省を提案するようなものを、僕は待っていたのかもしれないな、と思う。とここまで書いたのもすでにしゃらくさく、インテリ臭く、無粋かもしれない。この映画についてはただ楽しい! とだけ言うことのほうがずっといいというか、読解の余地はほとんどないくらいぜんぶ説明してくれているのだから、わざわざそこに付け足す言葉なんてない気もする。映画館を出ても明るいと変な感じがする。晴れていた。いやあ、いいものを観た、ほんとによかったねえ! と二人でほこほこ興奮気味に話しながら、電車まで歩く。

静かなところでのんびりする、おいしいものを食べて隣の会話を面白がる、わかりやすく最高なものを観る。理想の休日に必要なものはもう十分だったが、さらなるよさを求めて、こんどはよくわからないものを見に行こう、そういう気持ちで六本木の歩いたことないところを歩く。obake「ただいま搬入中」。友達の展示、というのは恐ろしいもので、面白くなかったときどういう顔をしたらいいのかわからない。しかもこれが直接の知り合いであればなんだかんだで素直にディスれるが、今回は奥さんの友達であって余計にたいへんだ、と不安もあったのだけど、電車で見せてもらった概要から想像していた以上に面白い展示で、面白いなあとニコニコしてしまった。移動をパッケージするというのは、不可逆かつ一回きりである時間や運動をどのように固定的なものとして、あるいは再現可能なものとして変形するかという試みで、演劇や日記や小説とも通ずる無茶をやっていて、つまりシンパシーの湧く無茶だった。僕は見ながら友田さんの『『百年の孤独』を代わりに読む』や『パリのガイドブックで東京の町を闊歩する』を思い出していて、会場の友田さんに友田さんの本好きだと思います、と思わずお勧めしていた。obake のお二人はすごく丁寧に作品について解説もしてくれるのだけど、会場のモノや言葉の配置自体がていねいだからほんとうは解説いただかなくてもやっていることや作り手の人懐こさまで伝わっていた。既存の意味や価値にうまくはまらないものを、いいものですよと提示するというのは僕は本当の意味でアントレプレナーのようだと思うというか、価値判断の軸を増やす営為はいいものだと信じているのだけど、そういうことを気張りを見せず、楽しく面白くやってのけるという態度に僕はいつも感動する。制作はその過程の方がわくわくするし楽しい、それは製作者の自己満足ではなくほんとうは鑑賞者にとってもそうで、完成品を見せられるよりも途中を途中のまま見せてもらえた方が体のいろいろな部分が触発される。それは途中というのが制作の成果ではなく過程であり──あたりまえの同語反復でしかないが──鑑賞者はただ結果を受け取る査定者ではいられず意識せずとも制作の運動のただなかに巻き込まれるからだ。岸波さんの時も思ったけど、今年は展示をやりたいな、それか久しぶりにお芝居がしたい。お芝居よりは展示の方が実現できそうな気がする。いまのこの状況だと。

それで大満足で帰る。帰り道に今日の振り返りを録音をして、今晩配信のポッドキャストはこちらに差し替えだなあと考える。録画してあるのど自慢を見なくちゃ。これにも大学時代の友人が出場している。そのあとはシェアハウスのころの皆んなと画面越しに飲む約束まである。なんだかきょうは盛り沢山だ。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員。プルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、「家」の別のやり方を模索するZINE『ZINE アカミミ』などを制作。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。