2021.06.13(2-p.53)

最近のあなたの日記は面白くない。

スリランカカレーを食べながら奥さんは言った。僕はこの半年くらい、いや一年だろうか、自分の日記が面白いのかもうわからない。そもそもかつて面白かったことがあったかどうかもわからない。しかしこの数日の日記のつまらなさははっきりとわかっている。しかし何がいけないのかよくわからない。日記の面白くなさとはそのまま日々の生活の面白くなさであろうか。今の状況で面白く生きていける人間がどれほどいるというのか。本はいまは小説ばかりでそうなると僕は日記でなかなか言及しない。小説は日記に概要をまとめるようなものではなくただ読むものだから。それが面白くなさの一因ではあるだろう。僕の日記の面白さとは言ってしまえば僕の読む本の面白さであって僕はそれを掠め取って切り貼りしているに過ぎない。僕は未だかつてこの個体として面白かったことなどあったとは思えず、しかし本を読むと面白いことがたくさんある。そして面白い本を書く人もまた、本に書いていないところでは特段面白い人間ではないだろうと思っている。僕はさまざまな人間の面白い部分を見つけてきて記録しているだけでしかしそういう編集のような作業がすでにひとつの価値であり得てしまうほどに情報が溢れているのが現在ということだろうか。いやしかしたとえばプルーストもピンチョンもいつだって選択肢としては開かれている。ただ読まないだけなのだから、知らないことを知らせるということですら僕はなく、存在は知っているけれど試していないことをじっさいに試してみることがすでに希少であるのだとすると、人はべつだん自分の目で見ないままで多くのことを済ませられてしまうのだろう。三〇を越して特に何も変わらないのだけど確実に老いたという実感があって、普段通りに愚痴を言うつもりでもどこか老害めいたぼやきに聞こえる。これはどうしたものだろう。僕はもっと機嫌良くいたい。

食後に百円均一ショップに寄って、こういう寒々とした蛍光灯の白い光のもとで一日働くとなると滅入ってしまうよな、と思う。縄跳びを買う。奥さんと河原で跳ぶ。奥さんは五回がせいぜいですぐにひっかかるが、それは風で裾の広いズボンが引っかかるからだ。それにしても奥さんは小さな体を目一杯に上に上に跳ばす。縄の細さを考えるとそこまで高くする必要はないのだけど、なぜ縄跳びをするかって運動のためなのだからうまく跳ぶことよりも思い切り体を動かすことのほうが目的に適っている。僕も跳んでみると思ったよりも上手で、とはいえせいぜい四十回とかだけれど、三回くらいにわけて百回以上飛んだかなというところで満足して、というかゼイゼイと息を切らしていた。帰り道はもうしんどくてふらふらと最小の歩幅で歩くから家がひどく遠い。早く大の字になりたい。そう奥さんと励まし合いながら帰ってすぐに奥さんはソファで、僕は座椅子に長々と寝そべって眠った。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員。プルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、「家」の別のやり方を模索するZINE『ZINE アカミミ』などを制作。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。