詰まるところ、我々はいつまで人間なのか?『ゾンビの小哲学』は『現代思想からの動物論』に響き合う。ゾンビの人間性の揺らぎは、痴呆や植物状態を前にした戸惑いと似ているところもある。
なんでよォ
ワクチン接種の会場はずいぶん不便なところにあり、心配性な僕は一時間前には最寄りのバス停に着けるように考えていたのだが、うっかりバスを逃した。次のバスは30分後。それでも十分余裕ではある。しかし30分待つことになった。ちょうど改修工事中でベンチもないバス停に突っ立ったまま『ゾンビの小哲学』を読んでいると、老夫婦が後からやって来た。
あと20分もあるわ
どこ?
バス停。ここでバスを待つよ
なんでよォ
だって歩けないでしょ?
待つなんてやだよォ
マスクちゃんとしなきゃダメだよ
だってよォ
マスク
やだよォ何でこんなとこいるんだよォ
じゃあ歩けるの?
歩くなんてやだよォ
じゃあ待とうね
なんでだよォここどこだよォ
バスを待つの、ほら、あと9分
9分?
そう
いち、にィ、さん……
分と秒はちがうのよ。わかる?それじゃ540秒数えなきゃ
じゅうさん、じゅうし、じゅうご!
15秒じゃ来ないわよ
早く行こうよォ
歩けないでしょ、マスクして
やだよォ
ほら、あと8分
大変そうだった。ボケてからマスクの習慣はつかないだろう。この二年弱の苦労をどうしても考えてしまう。ものすごいのは延々とループする駄々に応答する彼女が終始穏やかであることだ。小さな弟におせっかいを焼く小さな子供のような甲斐甲斐しさ。正直マスクなしでぶつぶつ話し続けられるのは勘弁して欲しかったけれど、彼女の穏やかさに思わず感嘆していたのも確かで、僕のこの一方的なまなざしの暴力への自覚的な嫌悪と、それでも見て書かずにはいられない好奇のグロテスクさが、本の内容を強烈に裏付ける。傍観者は醜悪だ。『ダイアリー・オブ・ザ・デッド』がちらつく。カメラを回し続ける必要は、ほんとうにあったのか? お前はこれを日記に書きつけることにどれだけの欺瞞があるかわかっているのか?
40分くらい余裕で着いたので、周囲を散歩。なんだか懐かしい感じのするチェーン店に飾られた国道が一つ川を渡ったところが会場でもう一つの川がすぐにある。中洲のような立地で、物流拠点などが道沿いに構えているから生活感はないかと思いきや学校が二つも三つもあって、団地がそれらに抱き込まれるように建っている。ワクチンの接種会場を選ぶ余裕がなかったせいでこうして全く知らない土地に足を伸ばすことになるのだけれど、その面倒自体はこの状況下で難しい無目的な旅行のような感覚もあって楽しい。なんでもないスーパーとか、住宅事情を慮るような旅行が好きだ。チキンとパンをローソンで買って、汚い川を眺めながら食べる。
会場での接種は非常にスムースで、15分の休憩中にオムラヂを聴き終える。バスを待つ時間は20分。田中宗一郎の「THE SIGN PODCAST」を聴く。来たバスに揺られて帰る。
下車してアイスを二個買う。アップルパイのやつとチョコモナカ。帰ると奥さんはイヤホンをしていて帰宅に気が付かないで、手を洗い終えてアイスを食べ始めた僕にびっくりしていた。アップルパイのアイスは美味しくて奥さんにも分けてあげる。奥さんは、いつの間にか帰ってきてたし、元気そうだし、美味しいアイスもくれた、と目をパチクリさせている。そう、ぼくはまだ元気だった。何なら一度目は打ってすぐに痛んだ腕も痛くない。騙されたのかもしれない。ほんとうは打たれていないのかも。腕をぶんぶん上げて、いまのうちにシャワー浴びとこ、とシャワーも浴びれる。元気だけれどもう今日は寝込む気満々だったので、引き続きポッドキャストを聴き流しながら布団でごろごろしていた。「POP LIFE」のワイスピ回を聴いて、このまま寝転がって5分おきにエゴサするくらいならワイスピを一気見するか、と考える。『ドライブ・マイ・カー』以降、車を運転したくて仕方がない。
夕食ももりもり食べれた。そろそろ体がだるくなってきたし、腕は上がらない。いよいよかな、と思う。騙されたわけではなさそうで安心した。日記もちゃんと書けた。あと一時間でFGO の夏イベだ。これは遊べるだろうか。無理せず、てきとうにだらだらしよう。寝込んでいる間に聴きたいポッドキャストやアルバムを見繕っていたら、どうやら二日半くらい寝込まないと聴ききれない。何だか僕は熱を出したり寝込むのを楽しみにしているらしい。なんだか遠足の支度のようにどこかうきうきしている。