2021.12.19

昨晩までケースから出しっぱなしでキュィイキュィイと悲しげに鳴くままにしていたAirPods を再起動すると鳴きやんだ!それで今日は電車の中でルチャ・リブロでの録音をチェックできた。僕の声が眠そうというか、ゆるゆるになってる。あと随分前日の夜に父と話したことをそのまま喋っていて、僕のこの受け売りの速さというか、すぐに感化されてそのまま喋ってしまう受容の態度というのは我ながらとてもいいな、と感心する。

Title の「毎日のほん」のコーナーに『プルーストを読む生活』が取り上げられていて、納品に伺うと約束しているこの日に合わせてくださったのだろうか。とっても粋だな、と嬉しくなる。慌てて出たので手ぶらで、録音のチェックをしながら行きの電車の中で日記をすでに書き出している。

昨日のパーティー二連発はちゃんと楽しめたし、その後酔いを引きずることもなくぐっすり眠れた。起きたら昼前でびっくりした。奥さんは友達をリビングに泊めているのもあって慌てて布団を飛び出していったのだけど、僕はよっぽどトイレに行きたかったのかな、とのんきに構えていたらもうそんな時間だったのでそりゃ驚くよね、と思う。朝ごはんを食べて、すぐに家を出る。納品のための荷造りや請求書づくりは奥さんが済ませてくれていて、スプレッドシートも含めて今回の本は管理の面で奥さんの手助けがずいぶん大きい。もはや立派に仕事だから、ちゃんと形でお礼をしたい。

荻窪に着いて、ちょうどバスが来ていたので八丁まで乗る。初めて乗った。バスって便利。辻山さんにご挨拶して納品。「毎日のほん」のことを言うと本当にたまたまなのだと言う。なんて嬉しい偶然だろう。ブコウスキーパロディの表紙はどこでもウケる。納品後はいそいそと棚を眺める。僕はこのお店の品揃えを信頼しているからこそ、「もうたくさん褒められてるし自分が買わなくてもいいか」とか「俗っぽくてなんとなくダサい気がする」みたいに普段は敬遠しがちな本をえいやと買うことにしている。今回のその枠は『水中の哲学者たち』と『デヴィッド・ボウイの人生を変えた100冊』で、帰宅して奥さんにえーと言われたのはボウイの本だった。僕もこんなタイトルの本を買う人がいたらばかにしちゃいそうだけれど、Titleで買ったとなればだって欲しくなっちゃったんだもんで済ませられる。あとはこの前榛原のトマオニで青木さんと話題に上がったダースレイダーのヒップホップ論と、酒井隆史の仕事だということでクラストルを手に取る。

それから西荻窪へ移動。坂がちで汗だく。昨日もそうだが寒いくせに日差しは暖かだから困ってしまう。歩きながら考えていた。本を作って売ることは、現在の一部が過去にとらわれるということでもある。本になるような言葉はすでに当人にとっては他者だ。そういう他者に奉仕することじたいが、いまここだけをありがたがるような価値観への抵抗にもなる。

BREWBOOKS。尾崎さんにご挨拶。ビールが飲みたいけれど体力的にアウトなので我慢。『ほんとうのランニング』という本が適量スピってそうで体を動かすことをブッキッシュに動機づけてくれそうだった。けれども今はそういう必要を感じなかったので、最近はテクノロジー嫌いに偏ってる気もしているのでバランスを取っておこうと『コンヴィヴィアル・テクノロジー』を選んで、それだけだとテクノロジー礼賛っぽくて嫌なのでケアの現象学の本っぽい『交わらないリズム』を買う。

本屋ロカンタンはもうすぐそこ。萩野さんにルチャ・リブロ訪問の自慢をする。青木さんがよろしくって言ってましたよ。僕はこっそり東京でいちばん気の合う棚はここの棚だと思っている。今日もオカルト本の棚に涎を流しながら厳選して『近現代日本の民間精神療法』と『コティングリー妖精事件』に決めて、セール棚からドゥルーズを二冊──『ドゥルーズと狂気』と『ダーク・ドゥルーズ』──を抜く。僕にとってドゥルーズとは哲学の方法をオカルトに近づけた人だからだ。それで会計してもらいながら、マルクスの話、心霊やゾンビの話ときて、気がつけば吉田悠軌『一生忘れない怖い話の語り方』のプレゼンを始めていて実話怪談における「私性」や傾聴と代弁についてお話をしているとそれはまさに社会学の現場で起きていることですねと『言葉を失ったあとで』と『薬を食う女たち』を教えてもらってこれも追加で買うことに。萩野さんも最近はオカルトばかり読んでいると言う。すっかり嬉しくなってたくさんお話しさせてもらう。虐げるものと虐げられるものの共同幻想としての怪談。感情史の趨勢から見える恐怖という感情へのアプローチの意義。近代から漏れ出るものとしての怪異を考えていくと、過剰さを考えたバタイユがまた重要になってくる気がしますねえと萩野さん。僕はバタイユを通っていないので、今後はぜひバタイユを読もうと思った。

ほくほくと帰路。行きと同じだけ紙袋をぱんぱんにしている。本を携えて納品に伺い、本を抱えて帰っていく。このプリミティブな交換の快感。こけしやでお土産を買って行く。

奥さんとこけし屋のケーキをぱくついて回復。秋組のトルライのアーカイブをPopInで投影した大画面で観る。迫田可愛い。

辻山さんがさっそくZINE の紹介ツイートをしてくださっていて、その文面になんだかすこし泣きそうになってしまった。

夕食は具沢山の味噌汁のにゅうめん。日記を書いて、奥さんに先に読んでもらう。誤字チェックも兼ねて、最近は公開前の下書きを読んでもらっているのだけど、こうすると日記へのコメントが誤字についてだけ、みたいなことにいちいち僕も不服そうにせずに済むし、もっと早くからこの方法を取ればよかったのかもしれない。これを奥さんに読んでもらっている間にサイン本で納品のお店用にサインを行う。明日は郵便局に行かなくちゃ。この最後の段落はまだ奥さんに読ませてもいないしサインも書き始めてもいないうちに書いて、ここまで書き終えたら奥さんに見せるわけだから、この段落に限って言えば日記は過去の記録ではなく未来の予告になっている。しかし僕には自由意志がある。こんな日記の言うことを聞かないで先にお風呂に入ることだってできるのだ。

上の段落を読んだ奥さんは、そんなこと言いながらちゃんとサイン書いてるんだね、と声をかけてくるだろうか。それともこの段落は余計だったね、ここ書いてる暇があったらさっさとサインに取り掛かればよかったのに、と言うだろうか。きっと、どっちも別に言わないよ、と言うだろう。いや、それも言わないかもしれない。他人がこの日記を何を考えるかなんてわかるはずもない。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員・文筆。楽しい読み書き。著書にプルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、いち会社員としての平凡な思索をまとめた『会社員の哲学』など。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。