2022.01.02

今日の抱負は「生活リズムを整える」だった。目が覚めたとき8時以降だったら二度寝せず奥さんを置いて起き出すと宣言していた。いざ目が覚めると5時だった。もちろん二度寝して起きると7時59分だった。迷ったが寝直した。だから今日も午前中はほとんど寝ていた。

今日は久しぶりにしっかりラジオ体操やストレッチを行って、えらかった。明日もちゃんとやろう。

同居人特製のおせちをブランチとしていただく。年々クオリティが上がっており、ひとつずつ違う味がする。全部同じように甘じょっぱいというおせち観が覆されていく。奥さんはクワイが好き。にこにこと嬉しそうに食べるのでこちらも笑顔になる。すっかりこの季節はクワイの季節になった。

シラスの新年突発のアーカイブは2時間だと思っていたら5時間半で、最初の2時間のうち半分ちょっとしか見ていないで半分見たとか昨日は書いていたけれどまだまだだった。ようやく本題に入る頃に延長で、延長料金を払って続きをこれも細切れに見ていく。昨晩幕間を開けたことで確保したなけなしの石三個での単引きでまさかまさかの闇のコヤンスカヤをお迎えしてしまい、スキル上げのためにホムンクルスベビーが大量に必要だった。だからセイレムを周回しながら、ピクチャ・イン・ピクチャで見るので、東浩紀がワイプでゲーム実況をしているような気持ちになってくる。お酒飲みながら哲学の話をだらだらしたい、という欲が湧いてくる。その場で話され、思い付かれ、整理される次の構想がとても楽しみで、ゲンロン友の会に入る気になってきている。最後まで見てまだ熱が残っていたらそうしてしまうだろう。途中での視聴者とのやり取りで浮き彫りになる、大きな物語が復活しポストモダンが退潮しているのが現状なのに、いまだに多くの個々人の認識はポストモダンのままであるというギャップが面白い。ポストモダンな認識というか、強固な権力と弱く分裂気味な個人とを対立させるような考えが根強くあることによって見えなくなっているものがあるというか。まだうまく言語化できないけれど。ともかく、人間の思考を演算や情報処理のようなものとしか捉えられないという事態は、「大きな物語」のようでもあり、群れの中で固有性を剥奪されていくようでもあり、モダン/ポストモダンの腑分けでは混乱してしまいそうだった。

夕方くらいから初詣を見に出かける。寒くて、二人とも帽子をかぶっていたのだけど奥さんは僕を見上げる時鍔が邪魔で僕を見ることができない。帽子をやめてパーカーのフードを被った方が暖かいかも知れないが、フードというのはなんだかすっかり怪しい人の被るものになってしまっている。目出し帽だって本来は防寒具のはずだ。フードと目出し帽と電マは、誤用の方が有名になってしまってすっかり本来の用途を剥奪されてしまったもの三銃士だ、という話をしながら歩く。

賑わっていて、とはいえものすごいというほどではない。警察官が隊列を組んで人の流れを制御している。大きな看板を持ってそれを裏返すことで「進め」と「止まれ」を指示する。大人しくみんなが従う。導線が完璧に作られていて、なんか人混みを見物して正月気分を得ようという気持ちでいた二人は結局本堂にまで言われるがままに誘導されて、てきとうに挨拶だけしてさっさと降りる。下のおみくじを引くと奥さんは大吉で、僕は末吉。奥さんは概ねなんでもうまくいくが、僕は何もかもがダメ、という結果だった。八角柱のやつを振って出てきた番号の引き出しから自分で取る方式で、僕の寒さにかじかんだ指はこの忌々しい末吉を二枚引いてしまった。一枚あげようか、と奥さんに言う。いらないらしい。達磨や熊手の屋台が並び、達磨は小さいのもあって可愛かった。なんだかすごく欲しくなってしまった。ちょうど目の前で大きめのダルマが買われ、店の人達が総出でチャチャチャンチャチャチャンのやつをやってくれていた。安くて小さいの買ってもやってくれちゃうのだろうか。やってくれてもくれなくてもなんだか嫌だな、と気が引けて、買わずに済んだ。なんだか正月に満足してしまったな。あとは何をすればいいんだろう。凧揚げとか、コマとか?

柿内正午(かきない・しょうご)会社員・文筆。楽しい読み書き。著書にプルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、いち会社員としての平凡な思索をまとめた『会社員の哲学』など。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。