2022.01.04

年の瀬に早めに届けてもらえた『tattva』を読み終える。僕はこの雑誌はいつも資本主義リアリズムを屈託なく内面化しすぎている感じが鼻についていて、ビジネス&カルチャーブックだから仕方がないと言えばそうなのだけどカルチャーというものは既存の価値観を破壊していくものでしょうよ、という気持ちが拭えない。そういう違和感も含めて好きな雑誌だ。今号はこれまででいちばん違和感なく読んでいて、それはそれで既存の自分の価値観を補強するだけな感じがあってすこし物足りない。わがままなものだ。考えてみればビジネスの倫理をあっさり前提として据えることへの違和感こそが僕がこの雑誌を読む理由なのかも知れなくて、それは今日ついに観終えたシラスの年頭突発番組を見ていても思ったが、僕はビジネスの話を楽しそうにする人たちがバカに見える。だからこそビジネス的な「賢さ」を内面化しすぎないように距離をとってしまうのだけれども、とはいえビジネスの言葉を賢く運用する人の格好よさに定期的に触れることによって、異物感を感じつつも、人間の固有性を捨象して単なる数として、群れで捉えるというビジネスの倫理には確かにある種助かるところもあるのだよな、それは強すぎる個人の「私」性の相対化なのだ、などと再考を促されるところもある。そうやって自分のバランスが取れるような感じがあっていい。読書も過ぎた偏食は健康によくない。

東浩紀の与太話はリアリズムの塩梅が強すぎるけれども生活というものの保守性をよく見据えている。生活の保守性にこそビジネスも根ざしているのだから、ビジネスが現状を前提とするのは当然のことだとも言える。東の模索する群れと個人を対立させない哲学とは、生活感覚やビジネスの論理を哲学に持ち込むということではないか。というか、僕はそういうものに関心がある。

そもそも個人の身体というものはそれ自体が群れであるから、純粋で分割不可能な個人など存在しようがない、というところから始められるのではないか、というのが一時期発酵にハマった理由でもあった。発酵はほどよく人文と科学の結節点のようなところがあり、記述の仕方もその両面からありうる。ここにビジネスとの親和性もあるというか、分割不可能な個人を前提としながら、個人を群れの一個体として配置するシステム自体を腸内細菌叢なみに複雑化させることで固定的な構造であることから逃れようという脱設計の設計のようなへんなことを西洋的なビジネスの論理は目指しているいる感じがあって、面白い。

そんなわけでSPBS TORANOMON への納品時に買っておいた『メタファーとしての発酵』を読む。著者名も監訳者名もろくに見ずにタイトルで買ってしまったが、サンダー・キャッツだったし、ドミニク・チェンだったから、かつて『SPECTATOR』をとっかかりに『WIRED』を経由して発酵にハマって行った僕としてはお馴染みの面子だった。書かれている内容もだから特段あたらしいものはなくて、比喩としての発酵は豊かだよねえ、という気持ちを久しぶりに思い出すような読書だったけれど、面白かったのはサンダー・キャッツがあらゆる運動的な食事法から慎重に距離をとっているところで、発酵をはじめ健康食の論壇というのは過度なスピリチュアリズムやオカルティズムと親和性が高いのだろう。俺はお前たちの同類ではない、という控えめでありながら決然とした態度表明に、サンダー・キャッツの苦労が偲ばれた。

それから個人の複数性についてもっと考えたくて、『江戸とアバター』と『落語の言語学』を並行して読み始める。どちらもとても面白くて、僕がFacebookは退会してしまってTwitterがまだ続いているのはアカウントの複数化の余地があるかないかが大きかったな、と思う。柿内正午もアバターの一つだ。このアバターは普段の賃労働や生活の現場では遭遇しない人たちと、読書を介したゆるい繋がりをたくさん連れてきてくれる。僕はこのアバターにポッドキャストや、日記や、思索する会社員や、もろもろのペルソナを搭載していこうとしているが、ほんとうはさらに別の名前をでっちあげてもいいのだ。柿内正午が窮屈になったらそうするだろう。別の名前で漫画を描いたり、パペット劇を作ったりするだろう。いまのままのびのびと柿内正午としてそれをやるかもしれない。わからない。発酵もそうだし、落語も、individual あるいはprivate の不可侵を相対化し、contamination を肯定するものだと考えている。この数年、清潔であることの必要性がより高まってしまったが、それは潔癖をよしとすることに必ずしも帰結しない、というか、僕は潔癖になってはいけないのだと強めに思っている。最近はおならやセックスをもっとちゃんと語れないものかな、と思っている。潔癖が隠蔽したがり、さらには排除すらも欲望しがちな「汚い」ものたちを、身体の所有感を揺さぶる微生物や、他者との触れ合いを、ことさらに美化するでもなく、そのまま語ること、その方法を探したいと思っている。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員・文筆。楽しい読み書き。著書にプルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、いち会社員としての平凡な思索をまとめた『会社員の哲学』など。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。