Twitter のアプリをiPhone から消しただけでだいぶリフレッシュされる。指寂しさのお供がFGO だけになるし、AP の縛りがあるからちょうどいい有限性がある。Discord はそんなに頻繁に何かが起きるわけでもないし。
『落語の言語学』を読み終える。面白かった。マエオキとオチに大半の検討を割くというのがいい。空間の性質を日常的なカオスから物語的な秩序へと変調させる導入と、物語を閉じ再び日常へと還していく締め、そうした物語と現実のあわいにこそ複雑な処理が行われているからだ。演劇であれば最初の一言、あるいは俳優の入場のありかた。音楽であれば最初の一音。そこでだいたい決まってしまうということ。余韻を許さずふっと終える落語の美学は格好いいな、などと考えながら読んで、こんな本だったよと奥さんに話すと、島田紳助じゃん、という。島田紳助は自分にセンスがないことをわかっていたから徹底的に笑いを分析し構造化するという野暮に立脚していたのだという。
週末はそれぞれ別行動になりそうなのではやめの録音。今回はあっさりめ。本人たちはいまいちグルーヴがないというかアドレナリンが出なかったなあという回の方が聴きやすかったりもするので、まだわからないけれど、録音を回す前にもう少しテーマを決めておいた方がいいかもしれない。もう八十回目だというのにいまだに手探りというか、とくだん成長や改善はない。
併読するのがちょうどいい体調のようなので、『武器としてのヒップホップ』と『コンヴィヴィアル・テクノロジー』を読み出す。本来カオスな現実という濁流にリズムを刻みつけ足掛かりとすること。言葉という道具。声を楽器のように用いること。ラップって自転車並みにコンヴィヴィアルなのかもしれない。イリイチはカニエを気に入るだろうか。
