『飯場へ』の再読を終える。現場での語彙やディティールを共有してからの、そうした経験を理論化しようととする第6章からが僕はやはり好きだ。具体を経ての抽象化。僕はどうしても具体的な話よりも抽象的なものの方に惹かれてしまう。これは昔からの性分で、それによって楽になることも多いけれど、歳を重ねるにつれて具体を無視できないこともよくわかってきた。具体は無視できない。生活は具体的なことで出来ている。それでも、そうだからこそ、具体に拘泥して疲弊しそうな時、視野が霞んできたときに、一度抽象の側に自分の立場を写してみる習慣が、何度も自分を助けてくれた。
昼ごろ起き出して梱包作業。郵便局は月曜まで開かないけれど、やれるところまでやる。ゆうパックにするより、レターパックとクリックポストを駆使して小口を分けた方が安いのでは? という気づきから、もろもろ改善がなされる。まだまだ色々とよくしていけるのだな、と感心する。こういうのは具体的なことの積み重ねだ。
今日は出かけないつもりだったけれど、奥さんの提案で近所の喫茶店でお茶をして、それから回転寿司に行くことにした。なんてすてきな提案なんだろう。コーヒーもチーズケーキも美味しかったけれど、暖房とほかの客の大声とで消耗してしまった。寿司も暖房でぼぉっとしてしまって、なかなかうまくいかない。
移動中と、帰宅後は『たどり着いた夏』を読む。滋味深い。噛めば噛むほどじんわり染み渡る。