2022.03.04

朝は唐揚げとシュガートースト。昼はたれカツ丼。51.35キロ。来週は早起きが続くので不安。春の予感があるこの時期は、二人揃って憂鬱感に襲われるが、年々いくぶんかマシだったはずの僕のそれが洒落にならない強さを帯びてきて、それに伴うかのように奥さんのつらさも巨大なものになる。肉体の状態の変動による脳内の波状や分泌物の異常、あるいは精神由来の肉体の減退。なんにせよ、感情や思考とはこの体のことなのだと、加齢と共により一層確信を深めていくところがある。ほんの数週間、漢方薬をサボったツケが半月ほど経って鮮烈にやってくる。フラットな状態、自然体とは僕らの場合、一般的な「健康」の基準を大きく下回っていて、それをせめて基準値ラインに乗せるために薬を使う。奥さんの事を壊れもののようだと感じる。けれども僕だって細かいひびやこぼれがたくさん入っていて、壊れものなのだ。そもそもヒトは強く殴ったら死ぬから、壊れものなのだ。丁寧に扱う必要がある。誰も彼も。何枚も食器を割ってしまう自分のガサツさが恐ろしくなる。大きくなって、丈夫でありたい、たくましさからくる余裕で丁寧でありたい。いっぱい食べて鍛えて長生きせねば。誰も彼も、すぐ壊れてしまいかねない。今日は多方面で多角的にスベり続けるような一日で、自分でも、スベってんなあ、と自覚しつつもビタイチ面白くない何かを繰り出すのを止められないという感じで、これはなんなのだろうか。よくない状態だ。奥さんはよくない状態に入るとじっと殻に閉じこもったようになって自責の念から動けなくなるが、僕はむしろ自罰的に多動を発揮しスベり倒すようだった。つら。今日の日記もきっとまったく面白くないだろう。書きながら読んでいていたたまれない、でも止まらない。奥さんは意思と関係なしに涙が溢れるというが、僕は意味もなく笑い続ける。げらげら、げらげら。空疎な笑い声が響き渡る。奥さんが怖がる。こいつ、いっこも面白いこと言ってないのになんか自分で自分にウケてるんだけど、なんなの、その疑問は非常にまっとうだ。僕自身なんで笑えているんだかさっぱりわからない。げらげら。とにかく罪滅ぼしのように夕食を作って、それで落ち着くかと思ったらそうでもなく、さっきまでずっと不気味に笑い転げていた。アムウウウウムウウウと奇声を上げずに済むようになったと思ったらこれだ。そういえば、僕は一人暮らしの時も家路の途中で一人でげらげらと笑っていたことがあったな、と思い出す。もしかしたら、この笑いは、アムウウウウムウウウの前兆というか、一歩手前なのかもしれない。必死に助けを求めているのかもしれない。このままじゃ滑落するぞ。誰か止めてくれ。スベってんぞ。スベり続けているぞ。げらげら。僕一人では止まれそうにない。このまま一生なにひとつ愉快なことを感受できないまま、腹を捩って笑い続けるのかもしれない。自分というものは、とても簡単に制御できなくなるものなのだ。理知を、そして適切なユーモアを取り戻さなくては。しかし、そんなもの、あったためしがあるだろうか。僕はこれまでずっと、ひとりで空回りして、スベり続けていたのではないだろうか。誰も制止してくれなかっただけで、つねに一人で謎に笑い声をあげていたのではなかったか。わからない。

いい加減、改行した方がいい。改行というのは理性だ。というよりもここまでの文章も、げらげら笑いながら書いていたと言いたいところだが実際のところ非常に静かに黙々と打鍵している。ここまでのは、狂気に擬態した駄文に過ぎない。ここまでの試み自体がスベり散らかしていると言っていいだろう。しかし、しかしだ。恐ろしいことにこの改行後の僕もまた、今日の僕なのだ。つまり依然としてダメな状態の僕だ。誰か止めてくれ! このままじゃどこにも辿り着かない空疎な文字列がどこまでも──

お風呂が沸いたのでここまでです。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員・文筆。楽しい読み書き。著書にプルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、いち会社員としての平凡な思索をまとめた『会社員の哲学』など。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。