奥さんは背が低い。日向翔陽よりずっと低い。アメリカでは低身長は明確にハンディキャップで、だだっ広いショッピングモールの駐車場なんかは優先的に店に近いところに停められるようになっている、そんな話をアメリカ帰りの人から聞かされて、奥さんはそういう目線の高さで生きているのだなあと思ったことを思い出す。ホホホ座ねどこは、かなりいい宿で、縦長の構造を活かした生活動線の設計だけでなく、天井が高かったり、壁の色の切り替わるところで仕切りなしに空間の色を描き分けたり、とにかくにくい工夫に溢れているのだけど、天井が気持ちよく高いわりに、家具や小物の配置がきもち低いのだそうだ。いままで当たり前にすこし高い位置にいろんなものがあることに慣れすぎていたからこの快適さは新鮮ですごく嬉しい、そんなことを奥さんは弾んだ声で教えてくれた。
昨晩は深夜喫茶しんしんしんでいい時間を過ごした。やっぱりはっぴいえんどがかかっていた。それで今朝も寝坊した。お隣のswimpond coffee で朝食。奥さんはホットミルクとホットドッグ。僕はコーヒーとチーズケーキ。やや二日酔いっぽい。夜が主な感染の原因だとも、移動が感染の主な原因だとも思ないというか、それよりも減らすべき変数というのはいくらでもありそうだったが、こうして旅先でのことを見られうる場所で書くというのはすこし勇気のいることだった。あるいは鈍感さが。罪悪感や違和感を拭がたく持つことは避けられないことだった。開き直りたくはないし、自主規制に安心したくもなかった。難しい。
今日はまず大好きな鴨川デルタまで出て、ふたばの餅を川べりで食べた。バスに乗って一乗寺へ。中学三年生の終わりごろ、初めての一人旅で名古屋から京都へと出かけた。目当ては恵文社。あまりの格好よさに面食らった。こういうところにある漫画はさぞお洒落であろうと分厚くて黒くて格好いいと思って手に取った新井英樹『ザ・ワールド・イズ・マイン 』をパラパラめくって一発でトラウマになった。完璧な外見の中身はけっこうちゃんとえぐい。いま見ると雑貨と本と文具との調和がすごくて、ひとつのモノの形として本へのフェティシズムを掻き立てられるような仕掛けが随所にあるとわかる。本はまずモノとして愛でられ、読まれることでなんだか別のものに変わったりする。このお店はその変容の入口だ。個人的に京都の印象や、モノとしての本への耽溺を方向づけたように思うこのお店に置いていただけること、思っていた以上に嬉しい。什器も音楽も並ぶ品々も、記憶の中よりずっとお洒落で、こんなところでうちの子居場所を見つけられるかしらと入店してすぐ、ほんの微かに心配になったがちゃんと似合っていてよかったな。中村さんや平本さんのおかげだ。
清水寺への参道で奥さんは苦々しくお土産物屋さんが苦手だ、と言った。ほんとうに嫌そうで、観光地向いてなくない……? と思うが、僕も観光地はこうしてオフシーズンに来るに限ると思っている。修学旅行生たちはどこから来たのだろうか。ほんとうは行き先は例年通り東京のはずだったが、手前の京都で手を打った西の子らだろうか。清水寺の舞台がきれいになっていた。今年の漢字が展示されてて、あらあ、となった。少なくない人が舞台よりも感じの写真を一生懸命撮っていた。坂の下の適当な店でお昼。思ったよりおいしかった。
六波羅蜜寺で空也像を見たくて出かけたら、今日は清盛のほうがよく思えた。ちょうど空也踊躍念仏が始まるとのことで、せっかくなので見ていく。空也踊躍念仏というのは知らなかったが、鎌倉時代の念仏弾圧の時期に、テクノうどんのようなノリでこっそり念仏を続けていたころの身振りと言葉が今も伝えられているというやつらしい。宗教がアナーキーであった時代の話は非常にわくわくする。ジュリアン・タマキ&マリコ・タマキの『GIRL』で主人公が、シェイクスピアは軽薄な恋愛ばかりでくだらない、と嘯くのに対して教師が答える台詞を思い出す──恋愛が革命だった時代があったのよ。大陸からもたらされ、この土地で研究された仏教という思想は、当時の政権を揺るがしかねないほどのラディカルさを持っていたのかもしれない。冒頭の説話がよかった。空也上人の時代はそれこそ疫病が都に蔓延した時代で、対策を命ぜられた空也は薬の配給やら、清潔な井戸の増築やらインフラの整備に取り掛かった。更にはそれまでその辺の山にほったらかしにしていた死体を荼毘に付すこと、それも故人の持ち物も一緒に焼くことを命じたという。いまの感性で見てもかなり的を得た衛生管理だと感じる。当時の僧侶というのは俗世から隔絶されたものというよりは、最新の技術と知識と思想を有したリーダー──いまでいうオードリー・タンのような存在だったのかもしれないな、と思う。長らくお芝居を観ていないので、そこで行われる儀式も、導入からぱっと散開する終わり方まで、オーソドックスな演出の方法論を見てとってしまったり、参拝者も一緒になってお経を唱えるところで、コール・アンド・レスポンスの根源的な喜びを思い出したりした。ゴスペルとおなじだな、みんなで声を出すというのはそれだけでなにか楽しさや頼もしさがある。偶然迷い込んだ形だったけれど、とても楽しかった。
それからマンモス団地跡地を目指して、きのう松本さんに教えてもらった「霧の街のクロノトープ」を見に行く。霧の射出は二〇分おきとのことで、時間があったので高瀬マーケットを近くまで見に行く。この土地のことはきのう松本さんから聞いたことくらいしか知らない。帰ったら調べたいと思っている。そういう文脈なしでも、霧の中で方向感覚を見失う体験は面白く、霧が晴れたあとは劇場を出たときのような、今回も無事日常に帰って来れた、というような感慨があった。コンテクストの豊かさとかもいいのだけど、そういうの知らなくても圧倒的なでかさとか物量とかで圧倒してくれるものはいいよね、とふたりで興奮して話す。
夕食をたべるところがどこも閉まっていて焦った。駆け込んだ蕎麦屋がおいしくてよかった。京都には京都独自の感染ルート追跡アプリがあるらしい。地方自治意識というか、強烈なうちはうちよそはよそ精神を感じる。