いま自分がしたいことってなんだろうと考えて、いちばん憧れに近い欲望は「ゾンビ映画で手脚をもがれてはらわた抉り出される役をやってみたい」だなと結論が出た。ゾンビが理想だけれど、「ホラー映画においてスプラッターな死に方する役」でもいい。とにかくド派手な死を演じ、撮られたい。口から血を吐いてごぷごぷ言ったり、ギョエエと大袈裟に悲鳴をあげて観客の失笑を買うのだ。
僕にとって、ゾンビの好きさとミニオンの好きさは似ている。群れではあるが、同調性を欠いている。ウイルス由来の走るゾンビはマスゲームだから駄目。ミニオンは黄色いから可愛い。でもボスがいないとやっていけないのが哀しい。ゾンビに主人は不在だし不要だけれど、哀しさはある。間抜けな悲哀。新作も楽しみだ。海の向こうではみんなでスーツで決めて観にいく遊びが大流行して、いつしか調子に乗りすぎた一部の子たちが映画みたいに馬鹿騒ぎして映画を台無しにするまでに加熱してしまっているとか。いつしかそういう過剰な若さにどこか共鳴するような心持ちがあることに気がつく。彼らと同世代の頃は、そういう輩が憎くて仕方がなかったのに。大人になって、大人たちと大人たちに従順な子どもたちの都合のいいように作られたシステムをあっさりと台無しにしてしまう野蛮さに慄きつつもどこか痛快さを感じもするのだ。ただ、流行に過剰なまでに同調できてしまうような子らは、どうせ数年後には立派な「社会人」になっている。そういう諦念も同時に強くなっている。この両義的な気分もまた、ゾンビを観るときのそれと似ている。
