今朝は過ごしやすい。なんだか早くに目が覚めてしまって、それは奥さんもそうだったし、コーヒーを淹れながら眺めるツイッター上の誰かたちも同様で、この時間に起きている人たちのツイートを見ているのだから当然といえば当然だ。コーヒー豆が切れそうなので、Todoist に「豆」と入れておく。あれこれ思い浮かんではすぐ忘れていく。自分の想起するものを、自分は所有していないな、と感じる。ただ通過していくのを眺めるだけで、書き留めるなりしておかなければあっさり消えていく。
昼休みにツイッターを開き、 後藤明生オリエンテーリングの様子を楽しく眺める。退勤したらお茶の水に寄ろうかな、とふと思いつく。最後にみんなが集合していく様子を遠目に眺めて、満足して帰るようなこと。誰にとってもよくわからない、ただ面倒だけがあるような、内容も意味もない行為。そういう気分にふとなった。それで途中下車して、しばらくお茶の水橋の真ん中でぼんやり待っていたのだけど、そうではないことにギリギリで気がつく。橋の真ん中で屯してたら邪魔だもんね。駅前の参加者の面々を見つけて、本当は挨拶もせずに帰るつもりだったが流石に大人なので一声かけて全員揃うまで輪になって待つ時間をご一緒する。一日歩いて、誰もがすこし赤みがかった顔で、町からの照明を照り返している。その様子だけでも赤木はよく歩いたのだな、と感じるが、ちゃんと一日歩いた人にしかない感覚がそこにはあるはずで、最後だけ掠め見て何がどうとはならない。最後のお一人が来て、一行はどこかいい感じの店へと移動する、その背中にさよなら、と声をかけてそそくさと帰る。遠目に眺めるだけでは不気味だと思うが、しかしほんの数分へらへらと輪に加わって消えるというのもかなり奇妙だろう。なんだったのか、体力が余っていたのだろうか、いや、帰りの電車ではぐったりだったし、なんなら輪に加わった時点でくたびれていた。早く帰って休みたい。それでも、なんだかわからないが、やってしまったのだから仕方がない。意味も成果も動機もはっきりとしない、動因が不明瞭なまま小説は進んだし、それで一向に構わないはずだった。
猛烈にだるくてシャワーを浴びてすぐに寝る。きのうニコラス・ケイジ無双に合わせてダンベルで遊びすぎた。全身筋肉痛、いや、これはニコラス・ケイジ痛だ!
今日はどうかしているらしい。
