楽しいこと尽くしの昨日の反動で、きょうはハムスター並みに寝続けていた。
昨晩はすこし飲み過ぎた実感があり、電車の中で日記をスワイプ入力で書き切った。帰って夕食、録音。酔っていたが、かけられた外圧はまだ弱まっておらず、ふだんよりよく聴けたしよく話せた気がする。きょう散歩をしながら聴き返していてそう思った。僕も奥さんも相手の話に触発されて思い付いたことを喋りたいから喋っている。だから正直やり取りとしてはつねに言いたいことを言いっぱなしで受け取られることもないのだが、しかしやはり受け取られはいて、お互いの言葉によって動かされる思考が引き出されていく。途中、僕が話したいことの準備のための前置きを、奥さんが引き取って好きな方向に展開させている場面があって、聴いている僕はそれに気がついたが、喋っている僕はその展開を面白がってあっさりもとの見通しを忘れているようでそれがよかった。図書館では12冊くらい返して12冊くらい借りた。一冊に集中してみる読み方を試してみたのだがそれだと調子が出ず、何冊も並走している方が僕は気分がいいようだった。だから本の借り方もまた派手になってくる。とにかく積んでおけ。どうせ読んだり読まなかったりなのだから、とにかくいくつも走らせておいて、乗れる波に乗ればいい。いまはリュックに『人権を創造する』、『カラマーゾフの兄弟』。枕元に『いいお店のつくり方』、『ユリイカ』、『ゲンロン12』、『いくつもの月曜日』、作業机に『ウィトゲンシュタイン『哲学探究』という戦い』、山城むつみの『ドストエフスキー』で、8冊だ。さすがにどうかと思うが、不思議とこれが調子がいいらしい。軽めの本や雑誌のような息の短い文章の集積がほとんどなのもいいのだろう。ふと気になってリストを見返すと今年はいまの時点で108冊くらい読んでいて、しかしこれが昨年や一昨年と比べて多いか少ないかわからない。そこまで数え上げる気はしなかったが、実感としてはこの数年まったく本を読めていない気分がある。もしかしたら読みたい本が膨らんでいく一方で読む速さはそう変わらないから、そのもどかしさを読めないと感じているのかもしれない。なんにせよ量はどうだっていいが、欲望の際限のなさを考えると、とにかく読んでいかなければというか、読みたいものをなるべく読もうとすると勝手に量は増えてしまう。一冊を何回も読んで満足できるならそうしてもいいし、読まないでもいいならそれでもいい。自己享楽のために読んでいる。それだけなのだから。
きょうはしかしほとんど寝ていて本を読む気になれなかったので、ドストエフスキーだけ読んで明るい気持ちになって、あとはだらだらしょうもないアニメを流し見ながらうとうとしていた。「グロ」「リョナ」「残酷」「泣ける」みたいな惹句につられて見たのだが、アニメはとにかくトンチキだった。これはどんな気持ちで見ればよかったんだろう?
