ようやく雨が降りそうな感じだがヒンナムノーはすでにきのう一日ですごい勢いで北上し熱帯低気圧になっている。少し楽になった気もするし、そうでもないような気もする。昼休みにマッサージを受ける。フットケアのコースで足裏を入念にやってもらう。すぐに靴下の跡も消えるからむくみはそこまでない。全体として流れは悪くないということだからふくらはぎをもう少し鍛えればずいぶん疲れにくくなるのでは、と教えてもらう。スクワットは正しいフォームでやれば十回が腹筋五百回に相当する。ほかにもいろいろな筋肉に効くからお得だ。Googleなどで調べてみてください。おしまいに軽く触った背中からは、肩甲骨は柔らかいから大丈夫そうだけど、腰が固い、ということを読み取られた。靴底はかかとの外側がすり減っているでしょ、と言われて帰りに確かめるとその通りだった。足の指先をまっすぐに、内側で踏みしめる意識で歩き出す。椅子に座るときも少し内転気味になるように意識する。蛙坂さんと卯ちりさんのツイキャスのアーカイブを聞く。非常に濃密。いい時間だった。来週土曜のイベントは有給休暇が取れたら行きたいがどうか。お三方にポイエティークRADIOに出てもらえないかな、聞いてみようかな、とぼんやり思う。この二か月くらい、Twitterの手触りが明らかにもう一段変わって、画面の向こう側にまともにやり取りできる人間がいる気配ががくんと減った感じがある。だからというわけでもないのだけど、いろいろな手段で会ったり話したりする約束を取り付けようと思いついたはしから連絡をしてみることにした。これまでは一回の断られに一週間凹んで半年はお誘いを控えるという感じだったけれど、とにかく軽薄に声をかけていって断られてもへらへらしていようと意識的に気分を調整していて、誘われ待ちな態度を矯正しようと頑張っている。僕は誘ってみる。鬱陶しがられたらごめんとは思うし、ずっと引きずりそうだが、それはそれとして自分はいつも面倒だなと思いつつも誘われたら嬉しいのだからその嬉しさを待っているだけではなく配ってみようと思ったのだけど、いつもの気まぐれなのですぐに嫌になるかもしれない。今ふと思ったけどねずみ講じゃないよって明言しておいたほうがよかったかもしれない。しかし目的もなくいきなり時間をつくってくれないかと打診するのも怪しく感じられるだろう。就職してからの数年間、久しぶりに声をかけてくれるほとんどの人がねずみ講とまではいかなくてもこちらに何かしらの利用価値を見出して目的をもっての接近でそれが寂しくもあったのだが、年を取ってからの目的のない声かけはたしかに不気味でもある。ポッドキャストは無目的な雑談欲を、録音が目的のように取り繕うことができて便利だ。
籠ったり、開いたり、どちらかではなく気分に応じててきとうにやっていければいいというか、自分は内向的でもあり社交好きでもあるので、どちらかに固着させないようにしておきたい。こういうことが案外10代のころはわからなかったというか、一極に落ち着けないといけないような気持ちにさせられているところがあった、そういう知らず知らずに規範化してしまった教育を解除していくというのが大人になってからのいちばんの仕事なのではないかと最近は思うが、僕は最近という言葉をずいぶんいい加減に使っていて、文脈によって七年から二日くらいまでの幅で伸縮する。十年後には二十年単位で最近になっている可能性がある。ここでいう最近とは三年くらいのことだ。
台風のせいかずっと動けなかったのが、ようやく雨が降って少し楽になったら多動を発揮してあれこれ仕込み出したり、可愛いズボン買っちゃったりしてて、危険。判断力がないまま動けてしまうのがいちばん大変で、ぐったり寝そべっていればとにかく浪費や蛮勇の心配はない。わかっていても多動なときは血気盛んになんでもやっちゃうんだからすごいよね。浪費癖がちょっとやばくて、そろそろどうにかするべき。ただの紙切れがあっという間に可愛いズボンになってて怖い。もうしない。紙切れのまま大事にする。たぶんできない。やばい。紙切れは履けないからいいんだけど。
