2022.09.21

今日は久しぶりに冷房を消して、窓を開け放った。風が気持ちいい。くしゃみが止まらない。ブタクサだろうか。

僕の調子というのは僕の意思や、生活の充実や、労働の安楽によって決まるものではなくて、単純に天気によって定まってしまう。秋の空。曇ったり晴れたりの今日、僕は多動を極めた動物と、限りなく液体に近いデロデロとを忙しなく往復していた。自分でもびっくりする。陽光がリビングに射し込み、休憩中の奥さんにうきうき話しかけたかと思えば、さっと雲がかかり、スン…… と俯く。その様子を見て奥さんは言う。

──花じゃん。

花だった。平山『恐怖の構造』、小中『恐怖の作法』を続けて読んで『ホラーの哲学』への気持ちを高めていく。理論家でなく実作者の解説は、よくて経験則、だいたいは思い出語り、悪くて飲み屋の与太話であり、二冊とも後ろの方の要素が非常に多い本だった。端的にあんまり面白くない。理論も実作もやれるというのはすごい稀なことであり、そういう人はどこか起業家っぽいところがある。市場から自分で起こしていき、そこに自分の作物を売っていく。新規の市場を育てることと、規制の枠組みを破壊するような作物の質を上げていくことが循環している。小説を僕は保坂和志を通して読む。小学生から中学生の時期に『プレーンソング』と『カンバセイション・ピース』を読んで、『書きあぐねている人のための小説入門』を読んで、また小説を読んで、『小説の自由』を読んで、また小説を読んで、ということを繰り返していた。だから僕は保坂和志の自治区に親しむようにして自らを育ててきたわけだけれど、そのように誰かが切り拓こうとしているところに立ち合いたいという気持ちこそが僕には小説となった。それで、ホラーは僕は吉田悠軌がそれだ。ホラーも小説も、実作をやりつつ理論を書くのはどこかズルみたいな揶揄を受けやすいだろうとも思うのだけれど、ズルという感想はいまある規範を無批判に前提とした態度の表明であるし、新しい何かをしでかそうとするとき、まずは周りがそれを理解できるような素地から作るというのはむしろ非常にまっとうなやり方ではないかと思う。しかしこのような、「何を言ってもどうとでも言い返せる、ビクともしない独自の論理武装」というのは、まあたしかに必勝法じみてズルいところがないではない。でも軸足はつねに新しいことをするという目的にあるわけで、既存のレール上の競争はそもそも問題としていないのだから、やはりズルいなどと言っても仕方がないのであって、ゲームは新しく遊び方を発明する人がどうしても強い。自分の自治区を作っていくほかないのだ。

アニメの方の『serial experiments lain』を二話まで見て、これは面白いな、と思う。小中千昭を僕は『邪願霊』くらいしか知らないから、理論というには半端な経験則なんか読むよりも、実作を楽しむ方が先だと思い知る。奥さんが利休をお迎えして、立ち会った僕は思わず息を呑んだ。星5が出る時、僕はいつも、ふはぁ! と音を立てて息を呑んでしまう。「ふ」で素早く吐いて、「はぁ!」で吸い込んでます。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員・文筆。楽しい読み書き。著書にプルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、いち会社員としての平凡な思索をまとめた『会社員の哲学』など。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。