2022.09.24

来週末はON READING で青木さんとのおしゃべりがある。

『山學ノオト』は松井さんから早めに届けていただいたのになんとなく積んでいて、というのも月の頭が週末だとなんとなくまだ先な気がして油断してしまった。まだ九月なのに、いつのまにかこんなに日が近づいていた。なんだか納得がいかない。

仕事の合間にぼんやりと読んでいく。思索と好意の両輪で回っている日々の記録。僕のように思索のほうだけが空転している日記と対照的だな、と改めて思う。『山學ノオト』はエッセイや研究ノオトがあるのがいい。日記に残された日々の結晶が一緒にあることで、短文がそれだけで孤立せず、独自の文脈を帯びてくる。

基本的に、日記というのは人に見せるもんでもない。そういうことをこの二、三年は考えていて、感染症の流行以降の日記を本にするのは、なんというか、そこには明らかに「何気ない日常」のニーズが見込めてしまう、そのことが僕は簡単すぎてつまらない感じがある。何気ない日常とやらが本当に何気なく取るに足らないものだったからこそ、そんなゴミをわざわざ自分で本の体裁にして売るというナンセンスが際立つのだが、いまとなっては自分の日記の売り上げ見込みが立ってしまう。こうなると当面のあいだ日記を自分で本にするのはいいや、という気持ちになってくる。もっと必要とされていないで、自分が面白いと思うことをわざわざやるほうが楽しい。『雑談・オブ・ザ・デッド』はそういう意識で作った本だし、じっさいこれまでのZINE でもっとも売れていないのだから笑える。売れては欲しい。求められていないところに変なものをそっと置いて、それがきちんと届いた時の愉快さが僕は好きで、届かない時もそれはそれで愉快だ。作るのは、なんなら本でなくてもいい。

電車の音かと思ったら雷だった。

藤井隆の『Music Restaurant Royal Host』を昨晩からずっと聴いていて、過去のアルバムのフェイク90年代CM集なんかも見返して、今になって僕が藤井隆を好きにならないわけがないということに気がついて、すごい勢いでハマっているのを感じる。これまで藤井隆といえばなにより『ロスト・イン・トランスレーション』のマシュー南というだいぶ偏った印象だったのだが、そういえば野田地図の『ザ・キャラクター』も観てる。ともかく演技者のイメージで、音楽プロデューサーの面はほとんど知らないできた。ロイヤルホストで「ください」と言うともらえるリーフレットを手に入れてごきげん。非常な名文で、協業企業への気遣いと、一顧客としての思い出と愛が滲み出ている。オムライスを食べる。奥さんはおしゃれな生姜焼き。

ひとりで本を作るとき、僕はとにかく他人のいうことをきけない性分だと考えていた。本作りのノウハウや、即売会のハウツーなんかを勉強しようと思ったことすらなくて、お客さんとして行った時のワクワクだけをよすがにとりあえずやってみてしまった、というか、そういうやり方しかできなかった。やってみよう、と方法を教わって、それでやってみることができる人が僕はすこし羨ましい。誰がなんと言おうと、やりたくなってしまったらやるし、やる気が出なければやらない。そうとしかできなかった。たぶん他人のいうことをきいていればもっとスマートにやれるんだと思う。でも、どんなに単純な道のりでも、自分で切り拓いた不細工な獣道のほうが愛着が湧くと考えてしまう。親切な誰かが丁寧に整備してくれた道はそれはそれで気持ちいいだろうけれど、僕は自分で探っていくその過程そのものが好きみたいなのだ。なんでも自分なりがいい。久しぶりに自分の頑なさというか、煮ても食えなさみたいなものに触れているような気がする。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員・文筆。楽しい読み書き。著書にプルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、いち会社員としての平凡な思索をまとめた『会社員の哲学』など。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。