実家の布団で目覚めて、パソコンを起動する。リモートであれば実家から労働できてしまう。朝食はなんかもちもちのチーズパン、バウムクーヘン、シャインマスカット。両親は昼過ぎから出勤とのこと。懲りずにゾンビの話をする。幽霊は子供の頃に見聞きして親しみがあるというか、考える素地ができている人が多いが、ゾンビは舶来ものだし、とことん他人事だからこれまでほとんど考えることすらしなかった、と言われて、納得。僕はゾンビは幽霊とか妖怪の延長線上にあるが、延長線上にあることを納得する理路から示さないと伝わらないのかもしれない。べつに僕はゾンビ伝道師を目指しているわけではないが。
本棚からカバーも取れてボロボロになっている水木しげる『妖怪たちの物語』『妖怪画談』『続妖怪画談』を探し出してもらう。この三冊は本当に怖くて好きで、『妖怪画談』は何度も何度も眺めた。『妖怪たちの物語』は怖すぎてあんまり読み返していない。「不死の酒」からの「足跡の怪」のトラウマ二連撃は強烈だった。子どもの頃に読んだこの三冊がいまのゾンビや幽霊に繋がっているのは間違いない。
お昼は父のつくるトマトパスタ。食後、会議が始まり、そのあいだに両親とも出ていく。
午後の労働のキリがつくと散歩に出かける。東京と較べて静かだ。知らない子供たちの、競い合うようにどんどんかん高くなっていく「ばいばい」の応酬だけが聞こえてくる。幼稚園までの道のりをたどり、そのまま小学校の通学路へ合流するように歩いていく。
僕が覚えているお店や場所がその通りにあるとき、それは二十年や三十年ちかく続いているということで、なんの変哲もない吉野家や、メガネ屋や、パチンコは、この土地でそれだけの歴史を持っている。今ではむしろ変わっていない風景にこそ驚く。接骨院は憧れの場所だった。骨折に憧れていた。ギプスが格好よかった。僕は一度も骨を折ったことがない。テニスコートはマンションに、ケーキ屋はべつのケーキ屋に、同級生の父親の店は駐車場になっている。古川元久はずっといる。子供好きの爺さんが気前よくコロッケをご馳走してくれた肉屋も空き地になっている。幼い僕は家族以外の知らない人はみんな不審者で、悪意があり、僕を攫ったり毒殺するものだと思っていた。知らない人からもらったものを食べてはいけない、と教えられていた。なぜなら毒だからだ、と僕は解釈した。肉屋のおじいは知らない人だった。せっかくもらったコロッケは、とても怖くて、毒の味がする気がした。あそこはTくんち、あっちにはBさんち、ここにはSくんちがあった。この公園で集まって遊んでた。夏祭りの日はなんだか特別だった。駄菓子屋は建物はそのまま看板が外れていた。公園の前でブタメンばかり食べていた。この町はどこにでもあるような町だけど、いまでも僕には子供のころの交友関係によってつけられた点がそれぞれ繋がって、奥行きのある地図ができあがって見える。大人の目で見るとそれぞれの家に、この土地との付き合いの長さや、収入の違いを読み解けてしまうが、当時はただ同じクラスの友達たちのそれぞれの家でしかなかった。子供にしか見えない世界があるし、大人になってからあたらしく得られる解釈もある。
実家であれ労働は疲れる。名駅に移動して母と夕食。双子のようなこの駅ビルは、物心ついてからできたものだから新しい気がするがもう二十年は建っている。中国の宮廷ドラマにハマったらしく、在宅のお供にいいかもしれない。『The Boys』を推しておく。
新幹線の自由席は三列の真ん中しか空いていないが座れはして、途端に眠ったからすぐ着いた。駅の階段でへなっと座り込むようにした男が、立ち上がってすぐまた転けた。よろよろと歩き出し、角を曲がったところでふっと消えた。人身事故で電車が途中で止まってしまって、仕方なく歩くことにした。大荷物で歩くのはつらかった。だらだら運転のパトロール車が横を通り抜けていく。乗せてくれ。
交差点の信号待ちで心が折れてしゃがみこんでしまう。きのう推しのイベントに合わせて髪を切った奥さんの写真を眺めて気力を回復する。帰ろう、帰りたい、もう荷物ぜんぶ置いて帰りたい。
帰ると、新しい髪型がとびきり似合ってる奥さんがいて、荷解きのあいだ水木しげるの漫画を読んでもらって、その姿がすてきで何枚も写真を撮った。
