賃労働において三割以上の出力はゲロゲロだ。気力であれ、体力であれ、なるべくケチりたい。だから面倒を避けたい気持ちはとてもよくわかるが、なんとなく面倒そう、という理由だけで責任を負うべき人たちが動かすのを渋る手を、適当におだてて動かすのがいちばん面倒だからといって、代わりに自分の手に動いてもらう時、べつに作業自体はそう大したことなかったとしてもなんだか釈然としなさは残る。たしかに今回に関してだけいえば僕が手を動かしちゃうのが僕自身の労力の節約にもなっている。けれども、目先のちゃちな楽のために、納得感だとか筋の通り具合みたいなものを棄損してしまったんじゃないかという居心地の悪さは、もしかしたらあとあと高くつくかもしれない。その予感が気持ち悪く、すこしむしゃくしゃする。
帰り道のコンビニでキリン秋味とコロッケを買って公園のベンチでごきげんにやる。肴にFGO のガチャを久しぶりに引くときらきら光ってシバの女王が来た。育てながらちびちび飲む。ほろ酔いで帰ってきたことを悟られまいとすごい勢いでコップに泡盛を注いで、くいくい呑みながらカレーを食べたのだけど、バレていないにせよ奇行が過ぎるしもっと酔っ払う。勢いよく食べたから、お腹が痛くなっちゃった。お風呂に入る。
奥さんはエーステをみんなでわいわい観る会に参加していて、みんな楽しんでくれているようで嬉しそう。よかったね。僕はその横で黙々と『ディスコエリジウム』で遊んでいた。まだ二日目の夜だが、ずいぶんと色々進展した。とにかく恐れずサイコロは振ってしまったほうがいいのかもしれない。なにげなく箱を蹴飛ばしたりするだけで死んでしまうから、サイコロチャレンジだけがリスクではないのが面白い。僕はこのゲームがかなり好きというか、本を読むには色々足りないが、だらだら本を読みたい、みたいな気分にぴったり寄り添ってくれる。こうして奥さんが誰かと喋っている横で気配を殺してゲームをしていると、実家に母や妹弟が友達を連れてきたとき、むっつりと自室に引きこもって息を潜めていたことを思い出す。昔からお客さんがいること自体は好きだった気がするのだけれど、気分が乗らないときは自分のペースの方を優先できる子供だったのだろう。えらいと思う。爽やかな演劇バカたちのわちゃわちゃが投影されるスクリーンの前で、酒臭いおっさんが社会主義者相手に管を巻いたり、庭に吊るされた屍体を引き摺り下ろして指を突っ込むゲームをしていると、その落差にくらくらしそうだった。春組メドレーが始まったあたりでゲームをしまいにする。奥さんがよその人と楽しそうにしているところを目の前で見ることができるというのは、オンラインで人と会うことのできる時代ならではのヘンテコな事態だ。