今年は嵐ではなく現存する最古のポストから年賀状が来た。
昼ごろからすこしお散歩に出るかね、と外に。フリスビーを持っていく。そのため外出前に奥さんとラジオ体操をして体をほぐした。僕が本を読んでいる間に、奥さんはフィットボクシングも行った。
近所のコーヒースタンドでカフェオレのテイクアウトと、豆を200g。あけましておめでとうございますをする。『プルーストを読む生活』を置いてもらえるとのことで、なんかいい感じに展開できるようこれから相談していきましょうね、みたいなことをニコニコ話した。お客さんが途絶えず、いい雰囲気で忙しそうだった。こういう風景は安心するな、と思う。
なんか緊急事態宣言を要請する方向で調整が始まったとかの報が入っていて、根回し、と思うし、そもそもの判断の遅さと急さに、こういうのは具体的に人を殺すよな、と思う。小売は大変だ。初売りの準備とかがあっという間におじゃんになりかねない。COVID-19 周辺で起こったことでいちばんなにがショッキングだったかって、感染リスク自体は何も変わりはしないのに緊急事態が宣言された途端にいっせいにリスクが高まったかのような雰囲気が醸成されたことだ。こんなにあっさりと全体主義的な状況は作られてしまうのか、という衝撃以上に、自分の体感もまた、宣言によって一段と危機意識を高めてしまったことがなにより怖かった。衆愚というのは、自分も含めたみんなのことなのだ。動員や広告の論理に絡め取られすぎることなく、数の一部でなく、ちゃんと一人としてあることは思っていた以上に難しい。
河原でフリスビーを投げていると、どやどやと集団が近づいてきて、なれなれしくて怖いなと思ったら友達──友達って「達」ってあるけど複数形もいけるのか?──だった。凧を揚げるらしい。楽しそうじゃん。凧揚げを横目にフリスビーを投げたり、凧を上げようと全力疾走したりした。駆け回るのが単純に楽しくて、糸を手繰るのを忘れて無駄に走り込んだ。それで閃いて、奥さんにフリスビーを遠くに投げてもらって、それを追いかけて走り込むという遊びを発明した。楽し過ぎて犬もこりゃ楽しいだろうね、と納得した。凧は手作りとのことで、空飛ぶスパゲッティ・モンスター教のあれが描かれていた。ラーメン。スパモンはよく揚がった。買ったという迎春と書かれた方は難しかった。もう一個そもそもどう揚げていいのかわからないやつがあった。凧を揚げ始めるとみんな凧の下僕になるので、風向きに合わせてどこまでも遠くに行ってしまう。それを見送りながらどんどんと陽が暮れていった。空はルドンのパステル画のような色彩を見せた。上から薄いピンクから青みがかった緑へ、そして柔らかい紺と変わっていく。奥さんはあの緑の部分がとても好きだと言う。子供のころ奥さんがそう言ったら友達は空は緑じゃないじゃん、と奥さんを嘘つき呼ばわりした。いまならわかる。空には緑もある。陽の落ちる方角の雲は炭火のようなおいしそうなオレンジに明るく染まっていて、それは染まると言うよりそれ自体で輝くようだった。いい空だねえ、と言い合って帰る。