有楽町で『ケイコ 目を澄ませて』を観た。三宅唱は観たことがなかった。OMSB が好きだからいつかどこかで『THE COCKPIT』が観れたら嬉しいなと思っている。劇場に貼り出されたポスターの岸井ゆきのの佇まいからして傑作の予感が充満していて、珍しくこれは絶対に観るだろうと思っていたのだが、はたして傑作だった。
有楽町のヒューマントラストシネマでは封切りから一週間はバリアフリー上映とのことで、字幕がついている。これがまたよかった。鉛筆で書く音、という文字が真っ黒の画面に出る。そして鉛筆が紙を叩く音が聞こえる。氷を噛み砕く音、夜のアスファルトを走る音、遠くのヘリコプターや工事の音、布団の擦れる音、清潔なシーツは乾いた音を立てて、橋を通過する電車の下で線路が軋む。逆説的に浮かび上がる意味を結ばない複数の雑音が、無意味なままにただ配置されていく。
リズミカルなミット打ちの舞踏のような動き。画面内の人の動線は声による制御からズレ続け、つねに視線の交差として表れる。岸井ゆきのの単線的な意味の束に収束させることを許さない顔と、その顔を成立させるカメラの距離。ある二人の会話のシーンでいやみなく提示されるサイレント映画からの継承。三浦友和の背中。三浦友和ってこんなにいい俳優だったのか。彼が出る全てのシーンが完璧だった。
ある面ではこれは日記についての映画でもある。複数の声と視点から、実に映画的に掬い取られる日記のありように、僕はどれだけ嬉しい気持ちになったか。
でもいちばんの主役は風景だ。とくに荒川だ。僕が好きな荒川。いまの家に越す決め手となった荒川。
フィルムでの撮影なのだろうか、ざらついた肌理で撮られる景色は、僕の住む町のすぐちかくで、そのはずなのに、すべてのショットが映画なので驚いてしまう。北千住のペデストリアンデッキから見下ろす果実店からいきなりステーキまでを捉えた構図は、僕自身なんどだって見たことのあるもののはずなのに、知らない景色としてスクリーンに投影されていたし、好んで散歩する荒川の土手の寒々しさも、川沿いの団地や工場が夜に沈んでいく様子も、その風景自体が映画なのだという調子でいる。
劇場を出ると傾き始めた日の下で、パチンコ屋や携帯ショップの店員が呼び込みを頑張っていた。ポイント還元、電子決済に対応、そうした雑音がやけに新鮮に響いて、帰り道、普段であればすぐに耳を塞いでくれるイヤホンはポケットに入ったままだった。
年で最も滞在時間の少ない太陽がほとんど沈んでしまった荒川沿いを歩いて帰る。そのとき僕は映画だったといってもいい。とても贅沢な帰路だ。
