事務所にいると一日に百回くらいトイレに立つ。さすがに盛った。一時間に一回は離席する。とにかく労働への興味がない。今月の後半から忙しくなるのもあって、比較的しずかなこの時期に自らすすんで働く意味が見出せなくて、追われていないのであれば微動だにしない、それが僕の流儀。一日中ごろごろしてたい。布団から出るのは水分補給とトイレだけで、あとは布団で本を読んでいたい。布団の中で読むのは、とっておきのチョコレートのようにちびちびやっている『ウィトゲンシュタイン『哲学探究』という戦い』と『遅く起きた日曜日にいつもの自分じゃないほうを選ぶ』、そして『いつかたこぶねになる日』だろう。昨晩もこのようなラインナップだった。小津夜景でなくLobsterr の『いくつもの月曜日』を読んで、これは読み終えた。『ひとり出版入門』もつまみ読みして、原価計算や紙の選定についてふむふむと学んだ。そろそろZINE の制作に取り掛かるし、具体的な実践を念頭に読むとすごく面白い。ひとところに留まれず、ザッピングするようにあれこれ読んでいて、本の間をふやふやとそぞろ歩くようにして読むのはけっこう好きだ。でも最終的には頭が疲れてきて、Kindle の読み放題で『やる気まんまん』を読んでいた。漫画が巧い。巧い漫画は内容にかかわらず何の引っかかりもなく読まされてしまうし、やめどきを見失う。
職場ではとうとうやることがなくなってしまい、でも早上がりするにも半端だったからてきとうにネットサーフィンに興じる。マイナンバーについて調べる。僕はマイナンバーはどうもよくわかっていなくて、正確にはマイナンバーカードがわかっていなくて、そもそもすでに番号は個人に振られてしまっているのだから、カードを発行してもしなくてもすでに一つのID へと情報を集約する体制に取り込まれてしまっている。カードは一種の象徴というか、個人で制度を利用する際の便宜をはかるもので、ナンバリングにはなくカードにはある固有のリスクというのは紛失くらいのものではないか。マイナンバーへの不信感というのは、その運用主体である国家のみっともなさを考えるとまっとうなものだが、カードを作る作らないはわりとどうでもいい論点というか、カードを作らないことは意志表明としてはあいまいだし弱い。制度を擬人化したキャラクターのようにカードが機能することで、国家権力が個人に番号を振るという事態の是非を問うまでの道のりが曇らされているように感じる。ざっと検索に溺れてみてもよくわからない。モヤモヤしたままだ。僕はだいたいのことがわからない。わからないままなんとなくで過ごしている。
白々しい蛍光灯の下、ここは乾燥している。自販機でミニッツメイドのアロエ&白ぶどうを買う。人差し指でマスクを顎までずらして缶を傾ける。喉の渇きで焦っていたのかもしれない。盛大にこぼす。マスクが待ち構えていたようにアロエを受け止める。マスクを着けなおすと白ぶどうを装った人工甘味料の臭いが容赦なく鼻の奥までやってくる。もう帰ろう、そう思った。
時間の経過とともに臭いは小児科でもらうシロップのようになってくる。もはや人工物であることを隠そうともしない。すべてが憎い──、対象が不明瞭な、宛先不在の像をの念がもたげてくる。おれは、いま、すべてが憎い。ミニッツメイドが憎い。ウイルスが憎い。労働が憎い。国家が憎い。資本主義が憎い。あらゆる憎悪はいつだって熾火のように燃え続けているが、とうとうべろべろべろべろと立ち広がり天をも舐めくさるだろう。
