2023.03.03

マウスピースを外して洗わないといけないのだが、そのまま回転寿司屋にあるような粉末緑茶を飲んでみんなと談笑してしまって、マウスピースの隙間に濃緑の粉がこびりついてしまった。ああ、と思って洗面所に行こうとするのだが、座の盛り上がりを離れがたく、しかもどうやら知人の一人が不幸な事故に巻き込まれて死んだらしいことが知れて、どんどんと機会を見失う。どんどん緑茶を飲んでしまう。そんな夢をぶつ切れで見ていた。何度も寝直して、なんどもマウスピースを外しそこねる夢の続きを見ていた。マウスピースをつけて寝てみる初日で、一ヶ月は毎日つけてほしいと言われていた。ようやく起きてマウスピースを洗っても、どうにも洗い忘れた気がしてならない。歯茎から血が出ていて、やはりそうとう噛み締めが激しいのかもしれない。

休み時間に本屋に行って、『正反対な君と僕』の3巻を買った。かわいい下敷きももらえたので、手帳に挟んだ。がしがし使うんだ。昨晩はLINE のスタンプも買っちゃった。送る相手がいないのでとりあえず隣にいる奥さんに平くんのスタンプをどんどこ送りつけた。

『現代経済学の直観的方法』は図書館で借りて、これはお風呂で読みたいと思ってKindle で買ったのだが、図版のレイアウトなどは紙版の方が頭抜けていて、電子版はだいぶ読みにくいのだが図版をタブレットで表示しながらスマホで文字を追うという方法でなんとかなった。電子書籍は、光るとか、左右の紙の量が変化していくのを触知できないとか、色々ものたりないところはあるのだが、なにより引用するときページ数をうつせないのがいちばんモヤモヤする。とにかく面白くて、最後の提言の部分の説得力はどうしても弱いのだけど、それでもどうにか希望の余地を探ろうとする態度を捨てないでいるのがよかった。

短期的な欲望と長期的な理想はつねに対立している。そしてわれわれは短期的欲望の総和がそのまま長期的理想と合致するものだと誤解している。部分の総和は全体に一致しないのだ。だから全体をばらばらに分解して、ひとつひとつの要素を個別に解いていけば理想を実現できるということはなく、そうした要素還元主義的な取り組みはむしろ短期的欲望だけを高速で膨張させ、長期的理想を圧倒し駆逐してしまうことになる。

それが始まったのは中国世界が始皇帝によって単一の帝国になった時(紀元前221年)から始まっており、それによって、中央権力の巨大さが人々の精神に一種の無力感を与えるようになったことが決定的だったようである。 

実際こういう状態では、人々が長期的願望を抱いてそれに基づいて生きようとしても、それは容易ではない。とにかく世の中を動かす力はすべて宮廷の中に集まっていてその外には存在しないのだから、もし宮廷の中が短期的願望で腐敗してしまえば、長期的願望が生きられる場所はもはやどこにも存在できなくなってしまう。そのため社会のあらゆる階層で悪い意味での個人主義が進行して、短期的願望がすべての長期的願望を圧殺していったのである。

長沼伸一郎『現代経済学の直観的方法』(講談社)

ここで指摘される中国の状況は、実質与党の寡頭政治に陥っているといってもよい現在の日本の惨状にもよくあてはまる。長期的理想を、短期的欲望に塗りつぶされないでいることは不可能なように思えてしまうというのが、いま多くの人が感じている行き詰まりではないだろうか。資本主義のことを考えていると、けっきょくこのあたりで苦しくなってしまうのだが、この本はここからひと足掻きしてくれる。

あるいは読者はもう十分にお腹がいっぱいかもしれないが、筆者にはここで本を終えて読者を放り出してしまうことがどうしてもできない。もともと本書が最初に書かれ始めた当初の目的は(確かにビジネスのために最も楽に経済学を学べる本としても使えるが)、行き詰まった現代世界の中で、読者が未来の経済学を模索するためにベースとなる知識を提供することにあった。 

そのためこの重い問いに何の答えも示さず「何をやっても無駄」という結論で本を終えてしまうことは、その最初の目的を裏切ることにもなりかねない。そこでたとえ単なる可能性に過ぎずとも、それでも一つの答えを示すことで未来への希望をつないでおきたい。以下はまだぼんやりとしたスケッチに過ぎないが、読者にはもう少しお付き合いいただければ幸いである。

同書

先に書いたように、それははっきりと展望が拓けるような明快なものではないのだが、それでもまだ足掻きようはあると体現してくれること自体に励まされる思いだった。

賃労働も柿内活動も、あれこれと案件を並走させていて、どうもテキストだけだとニュアンスを掴みづらい場面も多いというか僕は人とやり取りするのであれば文字より声のほうが丁寧にやれるんだな、と思えてくる。文字は僕には速すぎるというか指と目はひとまず動かせてしまうから止まりにくいが、声のほうは言い淀めたりするから速度の調整がわりとできる。いや、それでも僕は早口なのだが。大概の人は読んだり聞いたりするのが苦手で、聞きそびれた場合なにも聞こえていないのだからわかるはずもなく素直に聞き返せるのだが、読めていなくても読めた気になってしまうのが文字の厄介さで、わかったという思い込みのもとで返事を書けてしまうためこんぐらがることが多い。ログを残すためにチャットしろと言っているのに電話してくる同僚のことをバカかと思っていたが、自分は文字が読めないと自覚しているぶん、僕のように読めてるつもりで読めてない大バカより随分とマシだったのかもしれない。気がつけば僕も埒があかないなと思って電話して五秒で事態が解消するというようなことを今日だけでも何件もやっていた。

本を作っているとき、というか具体的に印刷の仕上がりを待っているあいだ、僕はただ待つというのが苦痛で仕方がなく、ついつい余白を埋めるように公私ともに用事を作ったり引き受けたりして忙しくしてしまうのだが、そうすると今度はひとつひとつの精度が劣化しがちだから、ちゃんといちいち深呼吸して丁寧にやっていかなくてはいけないのだがうまく印刷できてるか不安でそわそわしているからそういう当然のことがこのうえなく難しいんだよなあ、でもそうやってなにもかも雑になってしまったらそれこそ本末転倒だ。いつだって冷静に、丁寧に。柔和で上品な物腰で、賢くていつも穏やか。そんなマジカル読書家でありたかったけれど、じっさいは口は悪いし、がさつだし、ものを知らないし、察しが悪いし、キャンキャンうるさい。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員・文筆。楽しい読み書き。著書にプルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、いち会社員としての平凡な思索をまとめた『会社員の哲学』など。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。