奥さんのくしゃみが止まらなくて、僕はくしゃみの翌日は腹筋が筋肉痛になったりするので動きのメカニズムが知りたくなって、奥さんがくしゃみの気配を見せるたびにお腹に手を添えて待ち構えていたらとうぜん嫌がられた。ひとの横隔膜の運動をおもちゃにしないで、と言った。それはしゃっくりだろうと思ったが黙っていた。くしゃみの瞬間に腹筋がとくべつ収縮するということはなくて、全身がいっぺんに縮む。だからお腹を触っていても動きを触知できるわけではなかった。
EEAAO の余韻に浸りたくて『ハロウィン』と『ハロウィンⅡ』を流しながら労働。落ち着いてからはしっかりと『ディック・ロングはなぜ死んだのか?』を観る。『スイス・アーミー・マン』は何年か前に観て、面白いのだが終盤の共感性羞恥ともちょっと違うのだがとにかくいたたまれなさが辛くてもう二度と観たくないのだが、バスのシーンなんかはなんだか結構好きで、ともかく男どものイタさとキモさへの自己言及的な容赦ない直視にはどちらかというと引いてしまうのだが、ディック・ロングはそのへんの塩梅がよく、楽しく観ることができた。それは男たちで自閉した世界を暴く警官二人組の存在が大きい。外部にいる女たちが理性を司っているのだが、内側にいるほかない妻たちに救いがないのがやりきれない。愚か者たちのあらかじめ決まりきった悲劇的結末への胡乱な迂回路。それにしてもここまでしょうもない男たちの有害さや無能力を描いてきて、EEAAO も当初はジャッキー・チェンを主役に、つまり男性を主役に据えた物語として構想されていたというから、紆余曲折あってあの形で完成しているというのはどこまで意図していたものかはともかくとしてこの監督たちにとってわりあい大きなブレイクスルーだったというか、男性性の失敗に対する過剰なオブセッションを脱却するものだったのではないかと思ったりする。
あしたにはサンプルが届きそうなので、明日も在宅での労働とする。時間指定ができないから、夜までそわそわしどおしなんだろうな、単純作業をしながら映画をじゃぶじゃぶ観るの、明日にすればよかったかな、と考えるが仕方がないことだった。
僕はほんとうにすべてを忘れてしまうから、奥さんとの思い出話もどこまでが奥さんの法螺でどこまでが事実かもはやわからないくらいなのだが、最近とみに思うのは、受験勉強のような丸暗記はすごく大事ということだ。検索したり、検索もAI に代行してもらえたり、データをただ参照するだけならべつに外部委託でいいのだけれど、自分でものを考えるというのは素朴に自分が覚えたことを使うということなのだから、とにかく記憶力というのはなるべく鍛えておいたほうがいい。僕は忘れてしまうからそれでも仕方がないかと考えていたところがあるが、ちょっと意識してなるべく覚えていたいと思うようになってきた。
なんかでかい小説を読むか、と軽率に『ガルガンチュワ物語』を読み始める。これで僕もパンタグリュエリストの仲間入りだ! モツの食べ過ぎで脱肛を起こした母親に処方された収斂剤が猛烈すぎて、勢いよく閉まる括約筋との連動により子宮から跳ね上げられ左の耳から生まれでた赤子は「のみたーい! のみたーい! のみたーい!」と産声をあげるので、僕はあまりに楽しくって月曜からすこし赤玉のお湯割りを飲んじゃう。