2023.03.20

アセロラドリンクが飲みたい。でも炭酸が入っていてほしい。りんご酢とかかもしれない。そう思って買ってきたのはザクロ黒酢だった。これがかなりしっくりくる。なんならザクロ黒酢の炭酸割りには僕がアセロラドリンクに求めているものがアセロラドリンク以上にぜんぶあるといってもいい。毎朝飲んじゃう。きのうからなのでまだ毎朝というには早いかもしれないが。定期的にこういう甘酸っぱさを体が求めるのだけど、栄養素としては何が足りていないんだろうか。

昨日のおしゃべりの名残りだろうか。本のことを考えている。本のことというのは、「本」という概念そのものについてということだ。

寡占という発想が馴染まず、分け合えば分け合うほど増えていくのが本。本は読めば読むほど読みたい本が増える。売れる本が増えれば増えるほどほかの本も売れる。本は一冊で独立できないので好むと好まざるとに関わらず人懐こさをもつ。まじめな読者はその無際限さを警戒し、友と敵とを明確に分けたくなるが、いい本は友と敵をパキッと分けられないことを前提としてとにかく関係の輪をどんどん広げる。そのうえでどう調整したものかと悩む。悩むからまた読む。本は散らかす。どんどん手を繋ぐ。ごちゃつく。なにかすっきり言い切れるような整理がなされる気になるようなとき、それは本が足りていない。わかりたいだけなら本は読まないほうがいい。わからないを広げるために読む。本は買えば買うほど増える、これは当たり前。当たり前のことなのだが、本を買えば買うほど部屋が狭くなるのだけはほんとうになんとかしないといけない。この場合は本を読んでいる場合ではなく、片付けるべきだ。

本を読んでもバカはバカだし、クズはクズ。なんなら本によってはバカを甘やかしクズを増長させるものすらある。本は救いではないし、解決でもないし、武器でもない。本は上手に読めば、自らのバカやクズに気づかされて慄いたり、あまりのバカさを恥じたり、見過ごしてきたクズに嫌悪を覚えて枕に顔を埋めて叫び出したくなったりする。本を読むだけではいい人間にはなれない。いい人間でないことを痛感させられるだけなので、そこからは個々人の生活でやっていくほかない。

僕のような人は簡単に調子乗って勘違いするから、本をなるべくしっかり読んで、身の程を知り続けないとあっという間にダサくなる。それがいちばん怖い。ここでいう「ダサい」というのは自身の有害さや加害性に無自覚なまま、視野狭窄な現状を無謬のものであるかのように思い込んだまま自足してしまっているような状態のこと。

yogibo の、パソコンを膝に乗せて置けるやつがずっと気になっていて、今日調べたら記憶していた半額くらいだったので、安いじゃん、と一瞬思い、それから、いや、そんなにお金払ってまでほしいものではないな、と冷静になったので面白い。この倍くらいすると思っていた頃は、バカに高いな、でもちょっと欲しいな、と考えていたのだから。価格設定というのは不合理ななにものかが関わっている。安ければいいわけでも、高ければいいわけでもない。お金というものはとことん阿呆らしいというか、人の阿呆さをじゃんじゃか踊らせるものだな。

夜はガンダムの舞台を観る。パトリック・コーラサワーだけとにかく可笑しい。重苦しい話だからこそ、出てくるたびに風通しが良くなって集中力を持ち直すのだからとても大事な役だ。これが薔薇王ではキングメーカーなんだからな。スメラギ・李・ノリエガは今度入間くんの舞台でアメリさんを演る。楽しみ。ガンダムの装置がすごくて、だいたい車輪のついた足場の上に椅子が載っかっているだけみたいな単純な機構でしかなくて、これを黒子が俊敏に動かす。俳優はぐるぐる動き回る椅子にどっしり座りながら操縦とモビルスーツの動きを両方行う。これでちゃんとロボットものに見える。棒を両手で握りしめて走り回るだけで自転車に乗っているし、舞台上にほんらいありえないものを幻視させるにはシンプルであればあるほどいいというのがよくわかる。見立ての技術。薔薇王もそうだけれど、松崎さんは複雑に思惑が絡み合う戦記物を舞台上の配置で簡潔に整理しつつ、反復を強調することでポイントを粒立たせるのが上手。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員・文筆。楽しい読み書き。著書にプルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、いち会社員としての平凡な思索をまとめた『会社員の哲学』など。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。