まだAI の日記観について考えている。あとTwitter の「おすすめ」欄というのはすごくて、見るたびに八人くらい嫌いな人ができる。雰囲気の悪いクラスの、いじめる相手をみんなで示し合わせるみたいなことばっかりで最悪。日々のなんでもなさと、市場におけるどうでもよさを同一視してはいけない。個人の生活の貨幣との交換可能性における無価値さは、人の尊厳の証でこそあれ、その実存のどうでもよさを意味していない。誰かが金銭的に優遇されているからといって、そうでないほかの誰かよりもその存在の価値を重んじられているとかそういうことではない。まして、ほかの誰かの価値を軽んじているわけでは決してない。明快な理屈で友敵を区別するというのは幼稚なのだ。不平等で不合理な状況の中でどうにか折り合いをつけてやっていくしかなくて、しかもそれはすっきりと予測や設計ができるものでもない。デザインなんてできない。偶然で簡単にわやになる。そういうものであるという当然のことを誰も彼もが認められなくなっているように見えて不気味。
きょうは午後から編境の店番。13時からの予定だったけれど、自分でお店を開けたくて30分くらい早める。ちゃんとオープンできた。さっそく三名くらいいらして、すぐに去る。そこからはめっきり。店主の人が納品に来たりするくらいで、静か。そのあと数人は来たけれど売り上げはゼロ。僕は『喫茶店のディスクール』を読み終え、『批評理論を学ぶ人のために』を読み始めて四分の一くらい進めた。店番しながら本を読むというのをやってみたかった。来るとも知れぬ誰かを待ちながら読むというのはずいぶん捗る。奥さんと外で待ち合わせをするときなんかもいい感じだから、待つという行為と読書は幸福なつがいなのだと思う。暇でも楽しいからいいな。これが生業だったらおそろしいけれど、こちらはなんだったらお金を払っている側なわけで、売り上げにあくせくしようとも思わない。気楽なお店屋さんごっこだ。17時を半分くらい過ぎたところでおしまい。明るいうちに帰る。きょうは半袖でも暑かった。歩くだけで露出している肌が満遍なく細かい粒子がまぶされるようで、これはなんの粉塵なのだろうか。
明るいうちに帰宅したはずなのに、気がついたら暗くなって日付を越していて不思議。奥さんとイギリス紳士が二人で火星を目指して39日間宇宙を往くゲームで遊んだのは覚えている。面白かったがなんだかくたびれるゲームだった。
漢方を飲んだら鼻のほうに逆流してきて怖かった。
