寝る前に『猫がこなくなった』の表題作を読んで、ニコニコした。隣に寝転んでいる奥さんに、いまから朗読するからたぶん四〇分くらいだけど頑張って聞いて、とお願いして、四〇ページ分、今度は声に出して読んだ。猫と暮らしたことのある奥さんは途中で悲しそうな顔になったり、ニコニコしたり、声に出して笑ったりした。そして見事なサゲで、わあっと目を丸くした。僕はやっぱり楽しくて、しかしこの短編はかなり出来過ぎというか、ものすごく構成的というか、古典落語のような巧みさがあるな、と気がつく。僕は小説はもっとブッツリとした終わりでもいいのに、と思いつつも、これだけ作品としてきれいに完結しているからこそ奥さんに読み聞かせたいと思ったのかもしれなかった。猫の話はやっぱり悲しくなっちゃうと思ったのにどんどん何聞かせられてるのかわかんなくなってすごかった、と奥さんは言っただろうか、猫が出てくると悲しくなっちゃうというのは確かに言っていた。後半はもうすこし違ったことを言っていたかもしれない。寝た。
それで起きての今日だった。今日はサイゼリヤで豪遊しよう、と決まって、うきうきと最寄りのサイゼリヤに歩いて行った。きょうは寒さがまた戻ってきている。席について、奥さんはなんかいまサイゼって盛り上がってるの? と言う。社長の発言が話題になっていることをいま知ったらしい。僕は奥さんがけさサイゼリヤと言ったのはその文脈なのかと思っていたから、単純に豪遊したかっただけなことを知ってすこし安心した。でも、ちゃんと怒っていいというか、怒るときお行儀の良さはありえないみたいなことがこの一件ですこし広まるといいよね、みたいなことを話した。アンチョビのフリコ、イタリア風もつ煮込み、ガーリックトースト、ほうれん草のソテー、フレッシュチーズとトマトのサラダ、ランブルスコひと瓶、パルマ風スパゲッティ、柔らかチキンのチーズ焼き。食べながら最近のジャンプはどんどんサンデーやマガジンっぽくなってる、ジャンプはこれまでというか僕らの世代はドラクエっぽくて、サンデーやマガジンはメガテンだったが、たとえば釘崎野薔薇なんかは顔立ちからしてかなりメガテンだ。そんな話をしていたが、女神転生は二人とも遊んだことがなかった。かなり酔っ払って、奥さんはさらに食べ過ぎでだいぶ具合が悪くなった。食後どこ行こうかと話していたけれど、これはまっすぐ帰るべきなんだろうな、それが大人の判断だろう、と奥さんは無念そうに言っていたが、諦めきれず、近くの公園をぶらぶらすることにした。奥さんはどんどん具合が悪くて、とて、とて、としか歩けなかった。
それで帰ってお昼寝をするとすこし持ち直したようで、録音を行って、長風呂を行って、昨晩のtoi books の企画「滝口悠生、大滝瓶太のゆるゆる話」をたらたら見ていると、僕は芝居もそうだが、やはり具体的な制作場の問いや試行錯誤の話がいちばん面白いようで、冒頭二〇分でかなり興奮した。僕は何度も小説の実作に興味が湧いてはすぐに冷めてしまうのだけど、お二人の話は久しぶりに小説書いてみようかな〜という気持ちが湧いてくる。作品そのものよりも作り手の手つきに興味があると言うか、手の動きをトレスしたいと言う欲望があるような気がして、僕は日記もやはりそのときそのときに出会したものを生み出す手つきや目線をすこしでもなぞってみたいという素朴な欲望があるような気がしている。