概ね定刻に秋田に着く。五分くらい早かったかもしれない。駅のコンコースには「ようこそ秋田へ」というメッセージが添えられた秋田犬の写真がずらっと垂れ下がっている。JRの改札を出たところにはナマハゲの頭部、その隣には巨大な秋田犬のぬいぐるみまである。僕はすっかり秋田犬が見たくて仕方がなくなってしまった。秋田犬ステーションというのがあるらしい。開場時間になったら行ってみよう。
ナガハマコーヒーというのが地元の老舗チェーンであるようだったのでここで朝食をとることにした。サラダとクロワッサンがつくモーニング。フレンチプレスのコーヒーはたっぷり三杯分あってうれしい。メールが来ていた読書会の資料を読み込み、きのう公開しそびれた日記を見直し、なるべくそのままで公開した。ポメラからiPhoneへのデータの移行はQRコードで、想定したよりもずいぶん快適に移行できたのでよかった。この作業が面倒そうでずっと購入を躊躇っていたのだ。こんなに簡単なら大丈夫そう。これからはポメラが日記マシーンとして活躍することになるのかもしれない。そうなるとNotionの運用を考え直す必要がある。これまではNotionで書いてWordPressで公開だったが、ポメラで書いてNotionに移行してWordPressで公開だとコピペが一個増えることになって美しくない。Notionに溜めておくと本にするとき便利なのだが、もう日記本は『差異と重複』で終えるつもりだから、すっ飛ばしてポメラで書いたものを直接WordPressに打ち込んでもいいかもしれない。しかし、万が一、いや、確率としては二十に一くらいだろう、また日記本が作りたくなったら?
居心地がよく長居してしまう。本をよく読む。
知らない街を歩いていると、このままここから帰れなかったらどうしよう、という心細い気持ちにいつもなる。交通網がおしゃかになったら、歩いて帰るのにどれだけかかるだろう、そのあいだ日常が停止してしまうことへの恐怖とまではいかないけれど、内臓がふわふわするような感覚。遠出するときに感じるこの頼りなさが好きだ。ぶらぶらと駅から西へ歩いて行くと立派な堀がある。地図で見ると図書館やホールを内包した大きな公園のようで、城趾なのかもしれない。堀には蓮の花やレンコンが浮かぶ。道の向こうには美術館があって、敷地内の広場では若い人たちがダンスの練習をしている。その奥に秋田犬を見ることのできる施設があるらしく、まだ開館まで時間があったので公園のほうを散策してみることにする。勾配のきつい坂を登るとこっちにも秋田犬コーナーがあって、うきうき列に並ぶ。大きい!檻の中で窮屈そうに展示される秋田犬の傍らにはキャップをかぶった老人がパイプ椅子に腰掛けていて、背後の柱には「飼い主さん」とラベルが貼ってある。人間も一緒に見世物にするスタイル。犬のほうと一緒に写真を撮ってもらうが、まったく顔をこっちに向けてくれなくて可笑しい。大きな犬、いいなあ。賢そうな顔してあんまり頭良くなさそうなのもよかったな。犬、かわいいなあ。ぼんやりと公園の案内板を眺めているとボランティアのガイドの方が声をかけてくれて、あれこれ教えてくれる。やはりここは城趾らしい。いまいるところは参勤交代の隊列を集合させる場所で、奥の階段になっているところから奥が馬場。江戸までは一週間くらいかかったらしい。なんだ、歩いてもそんなもので着いてしまえるのか。一緒に歩いて案内もできるというのでぐるりと公園を巡るのに小一時間つきあってもらう。展示室を兼ねたお城のレプリカにも入る。上からの眺望はきれいだったけれど、天気がいいともっとすごいらしい。ずいぶんと佐竹家に詳しくなった。楽しかったです、とお礼を言ってお別れ。稲庭うどんがおいしいらしい。
秋田犬ステーションも覗こうと思ったがもう休憩の時間だった。大きい犬、いいな、もっと見たかったな。できれば広々としたところを駆け回っているのを見たい。
川向こうまで歩いて行って、ひらけた場所に出る。駐車場のようなスペースにちんまりと植木市がひらかれていて、ぽつんと一見ラーメンの屋台が出ている。きっとそこまで美味しくないのだけど、屋台って魅力的に見える。いちブロックまるまる余白としてあって、その奥に緑色のファサードが見えている。いよいよだ。乃保書房。いつか必ず行くと決めていた。ZINE版の『プルーストを読む生活』を真っ先に仕入れてくださったお店。僕の生活圏を越え出た本屋への営業は、ここから始まったと言ってもいい。いまも自著を嬉しい並びに置いていただいていた。大友さんにご挨拶し、じっくりと棚を三周。二周目からあれこれと手に取っていく。一万円は買いたかった。なにせ、ここで買い物するためだけに秋田まできたのだから。まず目に止まったのは面陳されている『広告』の流通特集で、乃保書房までの流通経路がロゴ入りで印字されている。これは記念に買わねばなるまい。奥の壁面はことばにまつわる本が多く、語源や辞書から俗語にまつわる本まで揃っている。ここの本はぜんぶ良さそうだな、と思いつつ、選んだ一冊は山本貴光の文体論だった。ZINE の品揃えも非常によくって、あれもこれもという気持ちと、秋田の人に手に取って欲しいという気持ちがせめぎ合う。結果、レア本は『ルッチャ 第三號』にとどめておくことにして、もう一冊は『LOCKET』のビール号。古書からは木村敏の新書。ひとり出版社ものとして夏葉社の万城目学と双子のライオン堂の西島大介。これで決めるつもりがレジ前の棚を眺めていたら日に焼けた『漢詩を作ろう』と『ノルゲ』の人の旅エッセイが目に入って思わず追加。漢詩や和歌への関心がにわかに盛り上がっているこのごろだ。紀行文はじつはいまそんなに気分ではないのだけれど、いつかまた読みたくなるだろう。もとから知っていた本がはんぶん、未知の本がはんぶんといういい塩梅になった。店内の写真を撮らせてもらい、栞を数枚託して辞す。九時間かけてやってきて、一時間本屋を訪ねてするっと帰る。距離をばかにしたようなこういう行程が僕は好きなのかもしれない。
大友さんにあれこれ教えてもらい、駅前で昼食のつもりだったのだけど、乃保書房のTwitterで言及されているのに気がついたのでやっぱり引き返して植木市の傍の屋台で比内地鶏のラーメンを食べる。味噌と醤油と塩から選べて、どれがおすすめか訊くと、ぜんぶ、と答えるのでそりゃそうかと塩にする。ラーメン越しに乃保書房を眺めるようにカメラを構え、写真を撮る。
駅ビルでお土産を見る。ご当地ヒーローのネイガーおすすめと奥さんからSlack がきていたハタハタ寿司を買おうかと思ったのだけど、冷凍品を午後いっぱい持ち歩くのは難しそうだったので断念。一丁目一番地にある金萬という和菓子を立地だけで定番品だと判断してこれにする。秋田犬ステーションは駅にもサテライトがあって秋田犬が見られるとのことだったので新幹線の時間ぎりぎりまで粘って探しに行ったのだが留守だった。残念。ネットで切符を買うと手持ちのICカードに紐づけられることを初めて知って、便利だった。ホームに赤い流線型が滑り込んでくる。乗ると想定の逆方向に走り出すので面白かった。窓からの景色が逆流するのだ。つまり、前から後ろへと流れていくのではなく、後ろから前へと送られていく。次の大曲でV字に方向転換し、そこから進行方向が客席に対して正になるのだとアナウンスがあった。大曲までと大曲からとでどのくらい進行方向に角度がつくのか確かめたかったのだけれど、気がついたら寝てしまっていて大曲に着いてしまっていたから、そこからどの程度べつの方向に向かって走り出したのかわからなかった。ずいぶん山の中を走る。すぐ眼下を上流の方の顔をした川が流れていた。盛岡から先はぐんぐんとスピードが上がってすぐに仙台だった。日本海側とを隔てる山の大きさを考える。
十七時くらいには曲線に辿り着けるかな。仙台駅前のバス、難しかったんだよな。仙台駅前のバス、どうしたらあの量から目当ての乗り場が探し出せるのかさっぱりわからなくて、結局青葉通りまで出ることになる。時間になってきたバスは別の系統で、たぶんこれはちがうと見送る。乗り換え案内としては一分前にバス停を出たことになってしまって、不安になる。ちゃんと870系統のバスは来る。八幡一丁目で降りて、曲線に。到着してすぐ菅沼さんに挨拶をして、急に来ましたね、と言われる。みかんジュースを飲んで落ち着いて、お店を見て回る。ああ、僕はこのお店が大好きだなあと確信する。棚を眺めているだけでじんわりと嬉しさが湧き上がってくる。佇まいや態度が美しい本ばかりだ。ON READING で三度見かけ、三度見送った写真集があった。自分を見送る両親を振り返って撮る、その何年もの蓄積を綴じた写真集。次見かけたら観念して買おうと決めていたら売り切れていて、諦めかけていたのでとても嬉しい。棚を見ながら一年前ここで買った本のうち、まだ読んでいないものもたくさんあるけれど、読んだものは全部よかったな、と思い出す。『中動態の映像学』とか。『あいたくてききたくて旅にでる』はまだ読んでいないな。『いつかたこぶねになる日』もここで教えてもらったのだ。今日は『なしのたわむれ』を買って帰ろう。タブッキを勧めてくださったのも菅沼さんだ。再訪したらあるものを全部買おうと決めていた、三冊。みかんジュースを飲みながらカウンターの上に並んでいるのが気になっていたせりか書房の古本も買う。
仙台駅までまっすぐ戻って、牛タン定食を食べる。お土産にずんだ餅を買う。刀剣乱舞の舞台を思い出していた。せっかくなのでずんだシェイクをテイクアウトしてホームへ急ぐ。本を読んでいたらあっという間に東京で、仙台ってずいぶん近いんだな。
あっさり家に帰って奥さんには、あれ、思ったより元気そう、と言われる。たしかに体力にまだ余裕がある気すらする。奥さんはハイラルをずいぶん走り回ったらしい。もう馬にも乗れるとのこと。メインストーリーを進めないように気をつけつつ全土を巡って、祠は18個くらい開けたという。楽しそうでよかった。
日記は途中まで書いて、お風呂に入ったらもう限界が来てしまった。瞼を押し上げながらなんとか歯だけ磨いて、続きは明日にすることに決める。猛烈に眠い。さすがにくたびれた。しかし流しでぼーっと歯を磨いていると、今朝は秋田にいたという手応えがあまりに頼りなくて、嘘みたいだな。しっかり寝てこの疲れもなくなってしまったら、よりいっそう嘘くさくなりそうだった。
断片的にここまでの段落のメモだけ残して僕は寝た。それを翌日膨らませながら書いてきたわけだがだいぶ長い。思い入れのある一日を、思い出すようにして書くとこれだけ重たくなる。やはり日記はその日のうちに、速度でさっと一筆描きにするほうがいいような気がする。けれども、おかげで昨日の移動の軌跡が、煙のようにどこにも定着しないまま霧散してしまうのではなく、文字の形をした引っ掻き傷として、何かしらの表面をすこしだけ変質させたような気持ちにはなった。思い出すことは過去の観照ではない。ある地点での主観的経験を現在としていつまでも引き伸ばすことだ。
