2023.05.31

着て行く服に迷う。オフィス街を往くベビーカーを取り巻くふたりの片方は半袖で、もう一方はダウンコートを着ていた。僕は長袖一枚で、すこし寒かった。

書くことや喋ることははしたないというか、ダサいことだと思っている。そういう屈託のないまま書かれたものは面白くないとも思うのだけど、書くことや喋ることは恥ずかしいことだとして黙ってしまう態度のほうがずっと嫌いなので、結果的に誰よりも屈託ないかのように文字や声を使用してしまう。僕は人にもっと書きなよもっと喋ってよ楽しいよとけしかけるが、これはそれらが「みっともないこと」であるという規範意識を前提にしている。だからそもそも規範意識がなさそうな書きぶりや話しぶりに出くわすとびっくりする。そういうのもあるのか! と。無責任に居直ることと、そもそも責任という観念をもたないことのちがいというか。あんまりうまく言えないけれど。

若本衣織『忌狩怪談 闇路』。非常に映像的でありながら、決してカメラを置けないような位置から描写する筆致の巧みさ。出来事の強さだけでも成立してしまうジャンルで、明確に運動を書くことを志向している。「外怪談」や「あの山のコンコンさん」なんかは下手な映画よりも映画的愉悦に満ちている。出来事でなく運動に比重を置いた書き方であることの何がすごいって、実話怪談は基本「聞かせてもらった話を語り直す」ものなわけだけれど、この本は「自分で見たわけでもない、人から聞いた話を、体験者以上の観察眼で冷徹に解剖するようにして書く」をやっているわけだ。六月の上演のために実話怪談めいたテキストを、人の体験談をもとに書いたのだけれど、そのときの素材を前にしてぼんやりとしてしまう感覚が鮮明ないま、このすごさはより一層際立ってくる。文字は映像よりも音の再生装置だから、目にも耳にもリズミカルな配置も重要で、これもまたおそろしいほど洗練されている。内容としても「見つけてしまう」よりも「見つかってしまう」ことのほうがずっと怖いので、すごく好み。

左の耳たぶがかゆい。もう蚊が飛んでいるのだろうか。雨がちであったし、ぼうふらもさぞ湧いただろう。雨の気配だけがアスファルトから匂い立っていて、『鉄コン筋クリート』を思い出す。シロのセリフに対しては、自分の些末な生活感覚に微妙に異なる言葉を充てられてしまったという、どちらかといえば苦々しいものを抱いている。

夕食を食べに帰宅して、また出かける。人の録音におよばれ。へらへら喋る。ポッドキャストを聞いてくださっているという方がいて、この人のポッドキャストもいいんですよ、とほかの人たちに勧めてくださる。きょうとまったく変わらない気怠そうな声で、もっと気怠げな奥さんと二人でしゃべっているんです。そう言うので笑ってしまった。気怠げな二人はいつもごきげんですよ。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員・文筆。楽しい読み書き。著書にプルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、いち会社員としての平凡な思索をまとめた『会社員の哲学』など。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。