2023.06.05

きょうはなんだかずっと怠くて、昨日がすでに遠い。多分読書会をずいぶん楽しみにしていたのだと思う。睡眠の質を考えると週末はあんなに動けるはずではなかった。何度も昼寝をしてしまう。その度に暑さで脱水気味で頭が痛くなった。

自分で足を揉むとバケツから揚げたての雑巾のように汗が出てくる。やっと本が読めそうな状態になる。今日は論理を追いかけていくようなのではなく、もっと命って感じのものをと積んでいた『ふるさとは貧民窟なりき』を始める。

「おい、ハギワラ、殺して食うから犬をとってこい。赤犬だぞ」

小板橋二郎『ふるさとは貧民窟なりき』(風媒社) p.14

書き出しはこうだ。これは元気が出るぞ、と思いながらずんずん読んでいくと、どうも見知ったものがちらつく気がする。ここは一体どこだろうか。

東京都板橋区板橋町十丁目二六八六番地。

私が物心ついたときに、私の首筋からタコ糸を通して胸にかけられていた丸い真鍮の迷子札にはそう彫られていた。この迷子札のおかげで一キロほど離れた清水町の交番から自宅まで無事送り届けられた記憶が一度だけある。この住所は、私がまだ四歳ごろに母親に何度も何度も反復させられたせいか、いまだに忘れずに覚えている。ただし、幼いころにそうしたように、

「トーキョート、イタバシク、イタバシマチジュッチョーメ、ニーロクハチロク」

と、大声で反復させられた当時の節とアクセントのまま、心のなかで大声を出さなければ、不思議なことに咄嗟に口をついて出てこない。

現在の住所表記でいえば板橋本町のあたり、旧中仙道板橋宿の名物縁切り榎を志村方面へむかって東北へ一丁ほど上がったあたりが、わが町・岩の坂であった。 私が生まれた昭和十三年当時の旧中仙道は舗装されていたが、そのコンクリートで固めた道を縁切り榎のほうからみれば左側、岩の坂交番のむかい側の、道の端のドブにかけられた大谷石の石段をトントントンと三段登ると、そこに板張りの腰から上が油障子になった引き戸があり、油障子には大きく墨で丸のなかに「福」の字が書かれていた。

この宿の主の通称「石福」こと遠山福太郎の「福」の字である。

同書 p.18-19

岩の坂とは、僕と奥さんが初めて暮らしたマンションのすぐそばだった。僕らは小板橋も通った旧板橋第三小学校の裏に住んでいた。われわれの暮らしたあの土地は貧民窟の記憶を隠し持っていたわけだ。毎晩縁切り榎の傍を通って帰っていた。僕たちはあの街でいつも具合が悪かったし、自律神経がまいっていたが、回想の中のスラムに住む人々は生命力に満ちている。というか、僕たちのような人間はスラムでは真っ先に死ぬのだろう。

細民たちの話を読むと元気が出るのは、そこに資本主義や国家の外部を幻視するからだろう。開戦間もない頃、酔っ払って往来に座り込み、首に蛇を巻きつけながら東條英機を大声で痛罵するおいちゃんの眩さ。包摂されることを嫌う反骨の吹き溜まるところ。そのどうしようもなさに惹かれるのかもしれない。たぶん僕はそこでは竹馬でめったうちにされて死ぬのだけれど。それでも。

夜、奥さんに足の裏を揉んでもらうとじぶんであんなに丹念に揉んだはずなのに段違いに元気になって、人に触ってもらうということの強さを実感する。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員・文筆。楽しい読み書き。著書にプルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、いち会社員としての平凡な思索をまとめた『会社員の哲学』など。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。