2023.08.02

ひとは自分が身を置くところの基本構造に無自覚なまま、それに行為や言動のありようを大きく規定されるが、このことはそのまま誰もがプラットフォームに新和的な形に自身を最適化することを意味してはいない。気がつかないまま大きくズレてるというのが大半だろう。SNSを長年使っていていちどもバズらない人、資本主義社会のなかでお金持ちにならない人のほうが大多数であることを、基本構造を眺めるときついつい忘れがちであるものかもしれない。

僕が不思議なのは、巷にぼんやりと共有されているアンチ自意識とでもいうような冷笑的な態度だ。資本主義って個人主義と結託した仕組みであり、個々人がその固有性を育めばそれだけ元気になるシステムだと思うのだけど、そのような機構を持つ市場がすっかり全面化したように見える日本において、むしろ際立って「自意識過剰」が揶揄されるのがよくわからない。自意識過剰を忌避するような機制がいつからどのように一般化したのか気になる。明治期に成立した私小説がすでに西洋の文脈からすれば異様なものであったように、そもそも日本文化圏で培われてきた「私」じたいが、じつは近代資本主義的な個人とは別ものだということだろうか。

自意識過剰であることを抑止するような構造は、資本主義的な価値観の進行によって現れてきたものであるように考えられるが、そうであるとするとここで仮想敵とみなされる自意識は、どこか資本主義的なものとのあいだに緊張をもっているのではないか。個人を共同体から分離することで成り立つ市場経済の全面化は、個人の孤立を促進しつつも、自意識を排除したがるような結果をもたらしている。では自意識のなにが非資本主義的なのか。単純に個人と社会の二項対立ではない。個人なくして近代社会は成立しないからだ。近代的個人というものと、自意識というものは、おそらくまったく別の何かを指示している。

それはそれとして、みんなどうやって音楽を聴いているのだろう。散歩中や読書中に漫然と聴くのはよくやるのだが、それこそ批評的な態度で注意深く聴くというのがどうも僕はできない。BUCK-TICK 論読みたさに取り寄せた『痙攣』を読みながら、優れた映画批評や文芸批評を読むときのように、これまで僕はいったいどれだけの音を聴き逃してきたのだろうという気持ちになって、しかし僕は耳だけで音楽を聴くというのはどうしても手持無沙汰であれこれ気を散らしてしまう。映画であれば注視ができる。本はわりと散漫だが、しかしその気になればかなり集中できる。音楽はどうも、聴覚だけに身を傾けるようなことが苦手なのかもしれない。音楽を論じる文章を書く人はどのように音楽を聴いているのだろう。椅子に深く腰掛けて目をつむるのだろうか。目を開けていてもなお音楽だけに注意できるというのはどうも想像できない。この前の録音ではなぜひとはライブに行くのだろうかと話したが、これはあるていど映画館と同じことで、そうでもしないと人は音楽にだけ集中するということができないからなのではないだろうか。高校生くらいのころ、たのしみにしていた新譜の一音も聞き漏らすまいと実家の椅子に腰かけてじっと瞑目していたら帰ってきた母に何をしているのかと思ったと驚かれたことを思い出す。恥ずかしかった。僕は音楽を聴くのが苦手なのかもしれない。人によってはこれと似たような困難を観劇や読書におぼえるのだろう。

今年は在宅勤務の日数制限があるからか、例年以上に暑さがしんどく、外に出るたびにあらゆる活力が損なわれてぺしゃんこになるような感じがある。食欲もないし、眠れないし、生物としての快楽への欲求が根こそぎ台無しにされていて、端的に楽しくない。こんなのやだ。プール行きたい。海行きたい。なんかチャラい感じの、生命力あふれてる感じのフィクショナルな夏したい。じっさいにしたらぐったりするだけだからしないけど。なんかでもそういう感じのサマーでバケーションな雰囲気だけでもせめて欲しい。ちょっととてもじゃないけど働く気がしない。本も読めない。涼しくなった夜からしか動けない。もしかしたら朝早く起きて出勤前に読書時間を設けたほうが快適なのかもしれないが、そんなことできるだろうか。そもそも朝は涼しいのだろうか。朝に起きていたことないからわからない。

元気がないと心も動かしたくないので、ただ面白いだけで泣かないしハラハラもドキドキもしないものが見たいと思う。こういうときアニメはよくて、いますぐ『君たちはどう生きるか』をもういっかい見たいと思って、面白いだけで心が動かないでもいいものとして宮崎駿のアニメーションを眺めていることに気がついた。ミルクパンで煮出すおいしいアイスミルクティーを淹れて、飲みながら『Fate/strange Fake』が配信に来ていたので見た。初回から景気のよい最終回バトルと睫毛バサバサが楽しかった。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員・文筆。楽しい読み書き。著書にプルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、いち会社員としての平凡な思索をまとめた『会社員の哲学』など。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。