在宅労働の作業BGMはアニメで、今期はメガネと自販機が主力だったが最新話に追いついてしまった。どうせ走るんだろ、と敬遠していたゾン100のアニメを見始めたが、じっさいは「走るゾンビと走らないゾンビがいる」という折衷案で、この節操のなさはすごいと思った。しかしやはり走らないほうがアニメーションとしても楽しいし、カタストロフィ以後に個人としてのささやかな日常をやり直すという主題からしても、走るゾンビのせわしなさは相性がよくない。ぜったい走らないほうがいいと思う。ゾンビはゆっくりとしかし確実に迫ってくる死の表象なのだから、せかせか走ってきちゃ駄目なの。若くて元気なうちはそこまで脅威でもないけど、ふとくたびれてしまったとき、ああもう逃げられないんだな、と気がつく瞬間がいいんだから。走るゾンビが流行るというのは、それだけ「だらっと続く日常」が失効し、毎日の生存のシビアさが生活感覚に根付いてしまっているということでもあるのかもしれないけれど、どれだけ元気いっぱいな人でも不意に死んだりするからショッキングなのであって、だからこそダラダラ歩くゾンビ映画におけるジャンプスケアは例外的にきらりと輝く。走ってちゃ驚かされてもただうざいだけでしょ。──このように、やはり僕は走るゾンビは認められないのだが、インターネットによって成熟を阻害された精神的キッズたちとちがって、大人の余裕で「地雷」をも楽しんでしまう。子供のころは無理だったえぐみや苦みが大人になると乙なもんだと思えるのと同じだ。稲田俊輔のいう「まずみ」みたいなものだ。だからまあ、内臓ぶちまけ描写のスプラトゥーン演出は楽しかった。
アニメに倦んできて、夏で、暑い。四本くらいのアニメを細切れにザッピングしてさらには本も読みだしてしまってこれはダメそうだ。あまりにも散漫だ。ああそうだ、こういうときは心霊ドキュメンタリーだとU-NEXTを検索すると『ほんとにあった!呪いのビデオ』がけっこう揃っていたのでこれを観ていくことにする。さすがに100本近いアーカイブを網羅するのはたいへんなので、岩澤宏樹が出ているものをメインに再生していくことに。それでも23巻から36巻までの児玉監督シリーズにおける演出補時代、自身が監督する42巻から55巻までとずいぶんある。やはりこれはいい。いぬのせなか座の山本浩貴がツイッターで以下のように述べている。
わけのわからない映像を真剣に見させるための環境設計を馬鹿げたふうでもひたすらやる、その気概とその先に生まれる異様な因果の配列と気迫が、好き
https://twitter.com/hiroki_yamamoto/status/1686722956263829506?s=46&t=P8naJHLI5UvXF4TGuRLbuw
僕もこれが好きだ。心霊ビデオは下拵えがすべてで、じっさいに供されるビデオよりもその準備にこそ魅力がある。すっかり定型化された順序に従って提示されるものに付き合っているうちに、ちゃちでささやかな仕掛けを真に受ける体ができあがっている。手順通りに作ればちゃんとおいしい料理にありつけるのと同じ感動がここにはある。構造の徹底は、ほんのすこしの工夫で劇的に味を変える余白をつくりだしもするのだ。
暑すぎるので、昼から浴槽を洗って水を溜めて、プールだ!といいながら入った。火照りが抜けていくのが気持ちよくて、日中に二度も浸かってしまう。ほんもののプールとちがって泳げないが、すっぽんぽんで入れるのが魅力。この見立てはなかなか楽しい。
お昼に冷やし中華と炒飯をつくって、しこたま食べた。炒飯は奇跡の出来で、僕は炒飯の天才かもしれなかった。夕食は控えめに蒸し野菜と副菜をいくらか。食後に夜の散歩に出る。本屋で『氷の城壁』を買って、スーパーにつくと奥さんにSlack で写真を送ってアイスを一緒に選んだ。四種のハーゲンダッツを買ってきて、こんばんはピスタチオ&カカオとラムレーズンを食べる。一緒に『グッド・オーメンズ』の二期を見る。これからは謝るとき踊ろうと思った。
