日曜日なのに早起き。『ピューと吹く!ジャガー』読書会のためだ。主日は機械書房のビルの扉が自動でロックされてしまうということで、時間まで建物の前で待つことにした。時間になって遅れ客の対応を岸波さんに代わってもらい、そろそろと始める。手探りだ。読書会をまわすの自体初めてのことで、緊張した。自分ばかり話しすぎないよう、沈黙を怖がりすぎないようにするのが難しい。すぐに参加者の皆さんが発言をしてくださり、そのどれもが慧眼で、結果的にとっても楽しくてあっという間だ。はすかさんは年表を作ってきており、もっと深く読み込みたかった。次回は資料を投影できるスペースを探そうとはやくも考えだしていた。少女漫画的「内面」の描写、赤らむ頬の表現の幅、汁み、キャラごとの手書き文字や文体の精緻さ、生理的嫌悪の換気力、羽海野チカへ引き継がれる創作者たちの深夜テンションの系譜、積み重ねられる文脈の愛おしさ、ハマーの垂直方向に降下する運動によって表される階級や序列意識──、とうてい一時間半では語り尽くせない鋭い洞察と読解の数々に痺れた。終盤に提起されたジャガーさんのパーソナルスペースについての読解に舌を巻いた。変な人にもその人なりの「常識」があるということを、ここまで丁寧に読み解くことができるなんて。そしてそれが可能なのは、単話の盛り上がりよりもそれまでの文脈に重きを置く『ピューと吹く!ジャガー』という作品ならではかもしれない。まさかここまで理解が深まり、読解の幅が広がる充実した読書会となるとは思わなんだ。正直きちんと体裁が成立するのかさえ確信がなかったが、こいつは面白いや。僕はゾンビ映画や実話怪談のようなキッチュな表現をを衒いなく大真面目に読解する遊びを好んで行ってきたが、ギャグ漫画でもまったく問題なくいける自信を得た。
終えてすぐに岸波さんとポッドキャストの録音。日記という文章表現の一ジャンルについての雑駁な放言。図らずもお互いの制作者としてのスタンスの根っこの部分についての言及や、作ったあと、続けていくための方策や、そもそも制作自体がべつの目的のための方便という側面もあることなど、日記の話に止まれたかというと心許ないが、あれこれと肝腎なことを話していたのではないかと思う。ベイブ論はほとんどが映画をただ虚心に見て、描写するということに費やすつもりなので、目で得たものを文字の配置に置き換える感覚を研ぎ澄ますために平倉圭『かたちは思考する』と蓮實重彥『ジョン・フォード論』を買って辞す。
水道橋から神保町まで歩いて、半蔵門へ。建て替え前に国立劇場に駆け込み文楽を見ようというのだ。三部の「曽根崎心中」は完売だったから、十五時からの二部のチケットを取っていた。読書会と録音を終えてすぐ移動でぎりぎりだから、コンビニでおにぎりを買って緑道で食べていたら蚊に刺されまくった。蚊も、あまりの猛暑に秋めいて来てようやく活発に湧いてくるらしい。湧いてこなくていいのに。
「寿式三番叟」、「菅原伝授手習鑑」の四段目「北嵯峨の段」から五段目まで。千穐楽だから大入袋が配られていた。そういうものらしい。たっぷり三時間の贅沢さ。「寿式三番叟」は能の「翁」を人形でやる形なのだろうか。千歳による露払いの舞に続き、翁の面をつけて神格化された能役者が舞い、二人の狂言役者が激しくコミカルな舞を披露する。能というか神事の時間感覚を模しているから語りもたらたらと引き延ばされ、気持ちのよい酩酊感というか眠気にゆらゆらしている、この感覚が僕は好きで、ぼんやりとベイブ論の構想を検討したりしていた。舞台の上方、両端に字幕が出るのでなんとなく意味はわかる。これは親切だった。幕間にはとりどりの緞帳鑑賞の時間もあって楽しい。「菅原伝授手習鑑」は一転してテンポよく語られる。太夫の演じ分けが格好よく、そこに三味線がきりっと絡んでいく。音声ガイドを試してみたのだが不要で、途中から音声を切っていた。普通に面白い。あらすじとしては酷い話で、まったく好きではないのだが、簡素化されつつ誇張された人形のアクションと、あるときは情感たっぷりにあるときはつるりと語る太夫の節回しと三味線のグルーブといった聴覚情報の掛け合わせの妙は、なるほど日本のアニメーションにまで引き継がれる省略と修辞の美学の一類型であるなあと感心した。予想に反してほとんど寝なかった。寺子屋で子らがわちゃわちゃするところですこし船を漕いだくらい。かっくんしていたら奥さんに起こされたが、その奥さん自身はお行儀よく静かにこっそり何度か寝ていたらしい。巧者だ。
帰りに回転寿司に寄る。読書会に参加してくれた蛙坂さんに『鵼の碑』について語りたいとお話ししたらすでに何名か心当たりがあるようで、薔薇十字読書会を始動するかと呟いていた。なんて素敵な会。薔薇十字読書会の一味はきっと、「目競」だけで一晩語り明かすのだろう。僕も一味に加わりたい。しかし、きっと深入りすると馬鹿になってしまうのだろうな。
BUCK-TICK のファンクラブページで過去のライブハウスでの演奏が観られるというので観てみるとこの十年での記録媒体の技術躍進を感じる粗さで、演奏自体もかなりラフで、三十五年バンドをやっているバンドが、いまがいちばん巧いし魅力的であるというのはすごいなと感心する。僕はいまのBUCK-TICK だからハマったのであって、十何年前に聴いていたとしてもこうはならなかっただろうなと思えるのが、なんとなく頼もしいような気持ちになる。そんなことを嘯きながら、きょうの家事や日記のおともは『HURRY UP MODE』と『SEXUAL xxxxx!』だ。いやしかし、このころの録音技術というのは、いま鳴らす音ではない。