診察時間前に本屋に寄って、見るだけのつもりで岩波の『哲学・思想辞典』を立ち読みしていたら厚みと重さへの判断力が狂ってしまい、グレーバーの新刊を買う気になっていた。紙の密度がすごくて見かけのわりにずっしりしているので一度敬遠したのだ。さらに『力と交換様式』のサイン本があって、柄谷行人のサインは一冊は持っていたいかもというミーハー心がくすぐられて二冊ともそこそこの荷物になる。おかげで荷重が許容値を超えて、不穏だった背中と腰がおしまいになってしまった。ニュートンも吃驚と謳うニュートンバッグは、たしかに体感する重さは軽減されて楽なのだが、負担がなくなるわけはない。奥さんはこれを背負うレッドブルと称したがけだし至言である。すでに家から単行本を持ってきているし、さすがに全部リュックに入れておくのは無理なので、結局この二冊はトートバックに入れて手に提げた。
採血でどちらかお好きな腕でと言われ、であれば利き腕じゃないほうがいいだろうと差し出したらあれ? あれ? とぶつぶつ不穏に呟きながら何度も何度も針を刺し直した挙句、血が出にくいのでもう片方でやります、などと宣うので結局どちらの腕にも穴が開いた。昔話かな。僕が意地悪でごうつくばりのお爺さんだからこんな目に遭うのかなときょう一日ずっと悲しい気持ちでめそめそ泣いていた。その涙を拭う手も、舐めとる犬もいなかったので、乾燥肌はいっとき潤い、揮発した涙はより一層のひび割れを哀れな顔面に残していき、肌の裂け目からこの世の陰惨な秘密が溢れ出たそばから地下街に屯する鳩たちに食い散らかされていく。買ったばかりの本をどちらの手で持てばいいのか、どちらにせよ痺れやすい血が滲む。帰宅してから気がついたが、血が出てこないと言われて滅多刺しにされたほうの腕の血管は、週末に蚊に食われた箇所ではなかったか。因果関係は定かではないが、すでに注射跡なのか蚊の痕跡なのかわからない瘤になっている。
それからずっと落ち込んでいて、そもそも朝から目覚めがよくなかった。秋というのはどうもよくない。せっかく気候が過ごしやすくなってきたというのに真夏に受けた疲労が噴出してげろげろだ。動きたいのに動けないのは楽しくない。季節の変わり目というのは気持ちも上に下に振り回されるから面白くない。そうは言いつつ、仕事の本を一冊きちんと読み終えてメモまでしっかりめに作ったのだから偉いものだと思う。さいきんは気分に左右されずに読んだり書いたりするコツを掴んできた気がする。体調が優れなくてもいかにしてごきげんを成立させるか、ごきげんを技術的問題として考えてみること。読んだり書いたりするあいだのごきげんの捻出はそこそこの再現性が期待できるようになってきたが、生活が草臥れてくるのはなかなか阻止できない。帰宅するとしばらく動けないまま呆然としてしまう。気晴らしに久しぶりに入浴剤を使った。有馬の湯。なぜかオレンジ色で梨の匂いがする。なんの関連も見出せない出鱈目な組み合わせに愉快な気分になる。お風呂あがり、奥さんが買ったコルセットを試してみると、かなりいい感じに腰が楽になって、しょぼしょぼ声が小さかったのが張りが出て声量も戻ってきたのでこれはすごくいい買い物だねとはしゃぐ。
