2023.10.13

昨晩はなんだか非常に楽しくなくて、楽しくないのは楽しくない。楽しくないと楽しさを甘受することもできないし、すると当然、楽しいものは書けない。全体としてみるとまずまずいい日だったのだが、疲れてしまったのと、そのくせ日中の充実に浮かれて深追いしてしまったのがよくなかった。日記の精彩は書く時のコンディションで決まるのであって一日の内容で決まるわけではない。しかし日記を書く段になって一日がくすむような感覚というのは気分がいいものではなくて、これは日記を書かない人の側にある叡智が察知しているものかもしれない。言葉という情報量としては非常に貧しい形態に暮らしの機微を圧縮することを忌避するというのは非常にまっとうな感覚である。書く状態がつねに流動的で不安定であることによる日記出力の質低下、これに対する解決策は単純で、日中でもなんでも書けそうなときに書いておくというものである。しかしこれは万能ではなく、きのうのように日中に書く暇がなく、そのくせ書きたいことはわりとあるというような日にはやはりうまくいかない。しかしそれであればうまくいかないということを書いておくべきであって、無理に取り繕ってはいけないと考えている。日記は記述内容よりも毎日記述しているの行為のほうが先立つものであるからだ。最近は眠いと寝てしまうが、もとは絶対にその日の日記はその日のうちに書かなければならないと決め込んでいた。この原理はいまでもある程度その通りだと思う。ただ、いまは睡眠のほうが日記よりも大事であるというだけのことだ。翌日に書いたというのも日記のひとつの証言ではある。

きのうはそもそも落ち着きがなく、本を読みながら腕立てやスクワットや腹筋運動をでたらめに行って気を鎮めていたのだが、そのせいで全身かるい筋肉痛がある。体に疲労感があるとすこし安心するというか、自覚症状としていまこの体は何かしらの用事で埋まっているんだなと思えるのでいい。忙しくて返信できないというような感覚が長年よくわからなかったのだけれど、ここにきて頭がビジー状態で単純な作業や判断を遂行できないことが増えてきた。きのうの冴えなさを思い返すと落ち込む。帰ったらとびきり愛嬌を振りまこう、きのうのブスを挽回しようと思う。

行き帰りの電車で見田宗介を読んでいたら元気になってきた。定本の著作集にとうとう手をつけて、一冊めを読み終える。すでに別の版で何度読んだかわからない『現代社会の理論』。見田宗介の言葉を借りれば、「近代的合理性」とは生活を生産に全面的に奉仕させる「生の手段化」の謂である。この「生の手段化」を正当化する近代の理念とは「自由」と「平等」であり、じっさい「近代的合理性」が実現してきた経済成長はいくらかの人々の「自由」と「平等」の領域を拡充したことはまちがいないが、「合理化」のプロセスの内外において疎外され、「生の手段化」を強いられてきた者たちにとっては「自由」や「平等」を抑圧するものでしかない。地球という有限性を露わにするほどにまで開発が尽くされた現代、「合理的」に資源を収奪し、領土を拡張していくという「征服」はもはや肯定できるものではなく、「自由」と「平等」の領域を拡大させていくような「共生」の理路こそが求められている。というかそういう方向に現代は向かってる。だから安易に衰亡を考えるより、よりいい感じの安定期に軟着陸できるように頑張っていこうね、という本だ。あとがきに引用される真木名義『自我の起源』のあとがきがとびきり。青青と書いて「せいせい」と読む。この清廉さ。

この仕事の中で問おうとしたことは、とても単純なことである。ぼくたちの「自分」とは何か。人間というかたちをとって生きている年月の間、どのように生きたらほんとうに歓びに充ちた現在を生きることができるか。他者やあらゆるものたちと歓びを共振して生きることができるか。そういう単純な直接的な問いだけにこの仕事は照準している。

時代の商品としての言説の様々なる意匠の向こうに、ほんとうに切実な問いと、根柢をめざす思考と、地についた方法とだけを求める反時代の精神たちに、わたしはことばを届けたい。

虚構の経済は崩壊したといわれるけれども、虚構の言説は未だ崩壊していない。だからこの種子は逆風の中に播かれる。アクチュアルなもの、リアルなもの、実質的なものがまっすぐに語り交わされる時代を準備する世代たちの内に、青青とした思考の芽を点火することだけを願って、わたしは分類の仕様のない書物を世界のうちに放ちたい。

真木悠介『自我の起源』(岩波現代文庫) p.207

このあとがきはほんとうにいいな。これまでに誦じられそうなくらい繰り返し読んだ。なんでもかんでもすぐ忘れるから誦じられないけれど。やっぱ元気が出るもの、歓びを分かち合えるようなもの、現実的な建設に向かうための糧になるようなものを書かないといけない。へんに賢いからすぐに悲観に暮れることができてしまうが、それでは不足で、やはりいい気分にならないと嘘である。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員・文筆。楽しい読み書き。著書にプルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、いち会社員としての平凡な思索をまとめた『会社員の哲学』など。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。