きのうの文フリ特集の録音で、これまでの回では当たり前すぎるかなと言及しないでいたブースをあえて挙げようというつもりで紹介したものが登壇の皆さんにとってはノーマークであることが判明し、そりゃそうか、と納得しつつもやはり驚いた。自分にとってはもはや定番のあまり言及するのもなあ、というもののほうが案外まわりの人にとっては未知のものだったりする。僕はどうも自分の知見の狭さを過剰に見積もっている、いや、むしろ僕以外の人の物知りっぷりに期待し過ぎているのだと思う。僕よりすごい人たちが、僕の知っていることを知っているとは限らない。この人の頭は格好いいなあというのと、なんでもかんでも物知りであることとは、まったく別のことだから。自分ごときが知っているものは誰もが知っていて当然というのは間違いだ。文句なしに誰もが知っているのは、アンパンマンくらいだろう。アンパンマン以外は、知らないかもしれない、という前提で話をしたほうがいい。アンパンマンも、知られていない可能性がないではない。しかしたとえばものすごく尊敬する人がアンパンマンを知らなかったとして、それで敬意がなにか減ったり変わったりするかといえばしない。逆の場合もある。子供というのは妙に物知りだったりするものだ。たかだか数年しか生きていないようなものが、全国の路線をぜんぶ言えたり、虫の名前にやけに詳しかったりして、その子供を尊敬するかと言ったらしない。へえすごいねよく知っているねと言って調子づかせてやるくらいのものだ。知っているかどうかは、その程度のことなのだ。
きょう配信の自分のポッドキャストで、工藤郁子さんはほんとうにこんな益体もない雑談を聴いているのかしらと話しているのだが、きょうのうちに「本当に聴いてますよ〜」と言及くださってびっくりした。格好よすぎる。しかしこんななんの役にも立たないものを、お忙しいでしょうに、と恐縮した。いつかゴールデン街で遭遇できたら嬉しいな。
日記をぼんやり書いていて、目の前に何かを差し出されたのを、なにか食べさせてくれるのかと思ってあーんと口を開けて待っていたら結婚指輪だった。お風呂に入るときに外す指輪を、毎晩お互いの指に嵌める儀式を遊びのように繰り返している。それだった。すごい、ぼーっとしてるね、と笑うしかない。あぶねー食べるところだった。