2023.11.05

カレンダーに十時半からと記入していて油断していたら十時からだった「非哲学者による非哲学者による哲学入門読書会」はなんとか目が覚めて神保町で参加できた。朝ごはんは食べそびれて、スティックのチーズケーキだけ席でもそもそ食べた。お腹が鳴った。今回も刺激的で、ようやくこの会の名前の本懐を掴むことができた気がした。ただ書かれたことだけを読み、書かれていないことを読解の資源にしないという態度は、じつは入門書においてこそ顕在化する要請であり、困難である。哲学書は、そもそも想定読者が相当狭いサークルに限られているからこそ、テキスト外の文脈や資源は当然のように共有されているものと前提することができる。しかし入門書は、手持ちがなくともここから始められると宣言している。では、誰もが問題なく開始できる地点とはどこか。どこまでの知識を自明として、どの程度の語であればその定義の注釈なしに妥当とできるのか、テキストのほかに共有できるものなどほぼないというところから、配置された文字列によって宣言された内容とじっさいに実行されるものとのあいだに齟齬がないかどうかを点検する。プログラムとして本を自らに入力し、実行されるプログラムとしてその作動を確かめる。プロンプトを受け取るAI のように本を読むこと。そこで明らかになるのは、厳密に読もうとすればするほど言語の指示するものは曖昧になっていくという事態である。だんだん、むしろなんで人は本なんか読めてしまうんだ? という気分になってくる。というか、なんで言葉などいう粗雑な道具で相互に交流できてしまうんだ? へんだよ?

懇親会の場でも話題に上がった『君のクイズ』をKindleで買っていたので読んだ。小説ってすごいよな、さらさら一日で終えることさえできてしまう。それでいて面白い。出オチのような小説でもあり、しかしその一発のアイデアが面白すぎる。クイズを主題にした小説そのものが、ひとつの不可解な問題の解答に至るまでの格闘である、テーマと構造を一意に決めて構築する手つきは職人技で、すごいなあと感心する。しかし『ゲームの王国』もそうだったけれど、結末の虚脱感はそうである必然性もわかりつつ、ここまでケレン味の効いた法螺話で楽しませてもらったのだから、最後ももっと大笑いできる馬鹿げたものであったっていいのに、という気持ちにもなる。読者というのは贅沢なものだ。見事に完成しているものであればこんどはその見事さに退屈する。

夜はブロンコビリーと決めていた。バスに乗って東京とは思えないシティーに向かう。シティーはすごい。駐車場がでかく、スーパーも薬局もぜんぶでかい。ここには資本主義によって賄える生活のすべてがある。次はお正月にね、そういってファミリーの祖父母がワゴンに乗り込む親子に手を振っている、そんなシティーにブロンコビリーはある。ステーキやハンバーグ、そしてサラダバーにはパスタや生八つ橋まであるこの素晴らしい店の、真っ赤な偽物の皮張りソファに腰掛けて僕たちは興奮を抑えられない。なあビリー、おれたちにガツンと拳骨みたいな肉を食わせてくれよ。ああ、たらふくな。ブロンコはいう。サラダバーはすごい。マカロニサラダ、ポテトサラダ、オクラとブロッコリーの和風ねばねばサラダ、カニカマとブロッコリーのタルタルサラダ、パクチーとレタスのサラダ、たまねぎ、レタス、コーヒーゼリー、果物、なにより生八つ橋の切れ端があって、あんこを後載せできるのだ。これらをがつがつ食べて、さらには肉汁があふれる二五〇グラムの肉までやってくる。楽しすぎて、お腹が痛くなってしまった。大満足。いい遊び場を見つけたね。ブロンコは同郷らしいんだけど、派手な結婚式で有名な彼の地では会ったことはなかったんだ。そうなんだね、そう奥さんは言って、ふたりで八つ橋をおかわりした。ニッキの風味は肉の臭みをリセットする。はーごちそうさま。いいビリーだったね。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員・文筆。楽しい読み書き。著書にプルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、いち会社員としての平凡な思索をまとめた『会社員の哲学』など。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。