2023.12.01

一日9時間寝ないとまともに動けない体になってしまった。これはなかなか生活を圧迫しており、すこし困っている。もともと8時間は寝ないとやっていられないのでたかだか1時間の差なのだけれど、その1時間でもとからないようだった朝が完璧になくなってしまう。押し出されるように始まる一日に余裕があるわけがない。

さいきんあなたを面白いと思うこと、ないかも。

奥さんにそう言われ、慄いた。いちばん面白がってもらいたい人に響いていないのなら、それはもう駄目ということだろう。この聡明な人は僕にとって都合がよくない。というか、都合が悪いことから目を逸らすことを許してくれない。だから直視せざるをえなくなる。黙っていてくれないかな、というときに限って絶対に余計なことを言ってくる。余計なことというのは残念ながら嘘で、過不足なく芯を食っているから勘弁してほしいだけである。黙って見過ごしてくれ〜という空気を醸し出しても臆せずいけしゃあしゃあと痛いところを突いてきてくれる、こちらがどれだけ調子が悪くても黙らないでいてくれるということにこれまでどれだけ助けられてきたか。

たぶん僕はいま、おそらく自分に飽きている。だから何をしても面白くないし面白さを感受できていない人間が面白いわけがない。なまじ対外的な面白については手癖で産出できてしまうぶんタチが悪い。家の中での僕の面白さとは未公開の面白さであり、野蛮な暴論であり、ただわくわくした気持ちだけが先行しているものであるが、だからこそある種どこよりも苛烈な価値判断に晒され続けているといってもよくて、奥さんが喝破するのは、お前はいま私にまで伝播するようなわくわくがないんじゃないか? ということだ。そのように解釈した。これもまたちがうかもしれない。いまの僕は面白くないから、この日記を読んでもらうとき、そんなんじゃない、と突っぱねられる可能性が高い。どうしたものか。わくわくしてきた。やはり、わからないことを手探りしている時間がいちばん楽しい。この日記も僕自身がうまくいっていないときのほうが楽しいだろう。それは、不幸のほうが幸福よりも愉快な見世物であるということではなく、まだ言葉にできていないものを確信というには頼りない予感だけを頼りにあちこちに語を連ねてみるという言語行為にこそ、その行為の醍醐味があるということだ。書かれた文字は浮き輪だ。溺れている時にこそ欲しいものを、溺れながらつくる。溺れっぱなしの場合もある。

本と商い ある日、の高橋さんと青木さんとZOOM で打ち合わせ。お子さんが忍者のレゴをいくつも見せてくれる。来月は沖縄だ。楽しみだなあ。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員・文筆。楽しい読み書き。著書にプルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、いち会社員としての平凡な思索をまとめた『会社員の哲学』など。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。