どうやらどこぞの中学受験の入試問題に『文學界』に書いた「無駄な読書」が採られたらしい。中学受験のプロという人のブログが検索に引っかかってきて知った。問題文の解説をするプロは問題文の著者プロフィールから紹介したいようなのだが、こいつは何者なのかさっぱりわかりませんね、としかいえない。本文に関しては「小学生には読みにくかったことと思います」「なんでしょうね、このなんともいえない読みにくさは」と苦い顔で、よっぽどひねくれた変な人なんでしょうという印象が繰り返されるので笑ってしまった。ごめんね、無名かつのたくった変なものばかり書いていて。小学生が読むことは想定していなかったどころか、そもそも入試的な読解に対して意地悪を仕掛けるようなものばかり書いているからこれは仕方がない。採用してくれた学校のことは好きになっちゃうけど、受験者や中学受験のプロは可哀想だと思う。悪かったね。
しばらくは愉快な気持ちでいたけれど、少なくない幼い魂にトラウマを刻み込んでしまったのではないかと不安になってくる。中学受験のプロでさえ柿内さんは著名な大先生と自信たっぷりに説明できるようになる将来があったとして、ある日青年はなにげなく街の本屋でその名前を目にする。するとまざまざとあの日の受験を思い出す。無駄にしてはならない問題用紙上で遭遇したその悪文は小学生だったその人には難解だった、というか十分聡明であったその人にとってそれは到底なにか意味のある文章だとは思えなかった。それ以来その人は文章を読むことが嫌になるということこそなかったが、中学受験の失敗はあのなんともいえない読みにくさが充満した文章の印象と分かち難く結びつき、すっかり大学を卒業した今でさえ癒えないコンプレックスとして燻り続けている。その名前に遭遇し、その人は苦々しいものを奥歯のあたりに感じることなる。さいきん歯茎がぶよぶよする気もする。昨晩キスをやんわり断られたのはもしや口臭がひどいのだろうか。最悪だ。なにもかもうまくいかない。これもすべてあの悪文のせいなのだ──
『現代プロレス入門』の巻頭インタビューで、ホラー映画のポスターかと思って気になっていた『狂猿』の正体が分かり、U-NEXT で観てみた。痛そうでいーってなったけれど、本物の血みどろを一度は見てみたいかもしれないと思い、そうなのか、僕は血が見たいのか、というかこれは今見ることのできるいちばん見世物らしい見世物なのかもしれないななどと納得するところもある。いかがわしいものにビビりつつ、でも見ちゃう、そういう体験を欲望している。
じわじわ着実に読み進めている『ニュルンベルク合流』の感動は、読み終えたばかりの『事務に踊る人々』に支えられている気がしてならない。勅撰弁護士、国際法学者のフィリップ・サンズが自身の祖父やその一族の人生を鮮やかに物語ることができるのは、あらゆる四角四面な事務文書を解き明かしていくことによってなのだ。息抜きのつもりに読み始めた『ポスト・サブカル焼け跡派』も面白くて止められない。とくに80年代までの通史的な語りが非常にクールで明晰なさまに惚れ惚れする。それに対し、90年代に入ると途端に同時代の当事者としての余計な熱を帯びて読みづらくなるところも面白い。この数十年スパンの趨勢を一本背骨を通した形で語るという困難に、自分もまた時代を共有しているのだということを誤魔化さずに挑む。その姿勢はとてもいい。とはいえ熱気にあてられてフリッパーズ・ギターの章で中断。