2021.02.08(2-p.16)

昨晩は、南インドのスパイスのどれかが奥さんを苛み、奥さんはお腹を下した後、35度台まで体温を下げ、か細い声で、これは、だめ、と呟きながらふるふると布団の中で丸くなった。僕はおろおろとした。足を揉んだりさすったりすると触覚も過敏のようでまるで僕がひどく痛いことをしたかのような目で見る。どうすることもできず、白湯を運んだり、薬を運んだりしつつ、不安な夜を過ごした。僕はいつ奥さんが助けを求めてもいいように、というわけではなく、単純に寝つきが悪くてずっと起きていた。もちろん細切れには寝ていたらしく、うーうー唸ったりぴちゃぴちゃ言ったりしていたらしい。奥さんは奥さんで不服そうに唸ったり、トイレに立ったり、水を飲んだりしていた。そんなわけでふたりとも土の色をした顔で起き出した。朝になってから少しは眠れた。

家を出ないと間に合わないギリギリの時間まで迷いつつ、円盤に乗る派の当日券の登録をおこなって、BUoY に向かった。思い立って北千住の人たちのLINE グループに「いまから最高のお芝居を観に行くので、みなさんにもおすすめです」みたいなメッセージを入れておくと、一人ほんとうに来てくれることになった。『流刑地エウロパ』。初演時は懐かしい人たちとそのまま飲みに出かけて、その場の流れで渋木さんは僕らと一緒に住むことになった。日常の不確かさはたしかに仄明るかった。とにかくどこかには着くのだ。それは別に今だってそうで、覚束ない足取りで歩いていくしかない。この「ない」は楽観だ。可能性よりも不可能の方が明るかったりする。スタンダードなディストピアSF みたいな世界観に、マスクがやけに似合っていた。初演時とほとんど変わらない印象で、マスクが悲壮感も異物感も帯びず、かといって日常の延長にもなく、きちんと非日常の空間に馴染んでいるのが可笑しかった。カゲヤマさんの芝居はいつも可笑しい。俳優は楽器のようにある。空間を横切り、震わせ、音を鳴らす。耳だけで聴くのではない、体をゆらゆら揺らしながら浴びる音楽のような気持ちよさがそこにはあって、とても好きだった。

終演後に本当に来てくれた人に挨拶をして、その人のお店が徒歩五分のところにあるので着いていってお茶をいただくことにして、寝起きの赤子が迎えてくれる。たっぷり寝た後だったみたいで、くりくりした目でじっとこっちを見る。みんなマスクしてるから、顔の上半分で笑顔を判断できるようになってる、ちゃんと笑い返してくれる。手足を使ったハイハイはまだ複雑で、むしろ腕だけで匍匐前進のように進んだ方が進める。それでもついつい足を立てて、重心を移すための勢いをつけるように、前後に体を揺らす。お茶を飲み終えて、物販コーナーにあった暖かそうな靴下と一緒にお会計をする。

奥さんは布団の中でじっとしていて、どう、と訊くと、ひま、と応えてくれる。今度は僕が眠くなってしまって、ふらふらしてきたので眠る。犬養道子『本 起源と役割をさぐる』を読み出す。これなんで読みたくなったんだっけ、なにかに出てきたからなのはたしかだが、きっかけをまったく思い出せない。でも絶対に面白いから、なんでもいい。本はいつも書き出しや終わり方を特によく忘れるものだ。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員・文筆。楽しい読み書き。著書にプルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、いち会社員としての平凡な思索をまとめた『会社員の哲学』など。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。