友人が来宅で、持ってきてくれた『吸血鬼すぐ死ぬ』の舞台──現地に観に行けなかったが、今年いちばんの傑作だと思う──の円盤をプロジェクターで鑑賞する約束を奥さんがしていた。僕はほかの用事もあったので音漏れしてくるのを聞きながら本を読んでいた。
早くも届いていた『文學界』二月号の創作と「読むためのトゥルーイズム」を面白く読む。『真っ白いスカンクたちの館』を満足するまで読み、あとすこしだった大澤真幸の『思考術』を読み終える。『思考術』は『〈世界史〉の哲学』の簡易なおさらいのようでもあって今年楽しかった読書を振り返るのにもよかった。そしてあとは『ニュルンベルク合流』にどっぷり。死ぬステの上演が終わった頃にこちらの用事も終わり、エンドロールのNG集や、セロリの歌のところだけ抜粋して観せてもらう。蕎麦と春巻きと鶏ハムを三人で食べる。
食後は死ぬステの特典映像として収録されているバックステージを三人で観るのだけど、これまで観たバクステのなかで最も充実していて、稽古場での試行錯誤から本番中の舞台袖でのわちゃわちゃまでたっぷり見せてくれる。制作の姿をしっかり見せてくれるので、これどうなるんだろうという不安も伝わってきて、初日の幕が上がりドラルクが初めて砂になるところでわっと笑い声が上がり拍手が起こったところで泣いてしまう。奥さんも泣いていて、えっご夫婦泣いてる? という友人の声が聞こえてくる。なにかを作って届けるとき、制作物を他者に差し出すとき、それはつねに命懸けの飛躍である。なんらかの価値として結実するものと信じて、飛ぶ。失敗してしまえば、なににもならない。だから制作者はいつだって不安で、怖い。それでも、信じて他者へと制作の最後の局面ですべてを投げ出す。舞台において、ある制作に価値を成立させるのは、観客なのだ。あの瞬間、わっと喜んだ観客によって初めて舞台は作品として完成した。その瞬間、舞台の袖で見守っていた出演者は、これでよかったのだ、と明らかに顔が輝きだす。確信に満ちた表情で、板の上へと向かっていく。自分たちでもわからないまま模索したものが、はっきりと誰かに受け止めてもらえるということは、ほんとうにすごいことだ。それを信じて何度も何度も飛躍するというのは、とても勇敢なことだ。
そのあと奥さんは友人にエーステの魅力を語り、そのまま映像を観せていた。自分の好きなものについて語るのが苦手だと言っていた奥さんが、いまではずいぶん上手になった。友人の話の聞き方が上手い。奥さんが話したいことを話したいように話して紅潮する横顔を見て、楽しそうだなあと思う。よかったね。僕はすこしだけ口を挟みつつ、二人の話を嬉しく聞いていて、目はずっとハンス・フランクの醜悪な半生を追っていた。本を読みながら人の話を聞くというのを久しぶりにやったが、まだやれそうだった。日付が変わる前に友人は帰っていく。楽しかったな。
『アトム 未来派 No.9』のころのFISH TANKer’s ONLY のライブ映像を観ながら年越し。ふたりで福岡の日本酒をグラスでさぷさぷ飲みながら、てろてろと踊った。踊り終わるところんと眠った。
