2023.12.30

昨日の日記を読んだ奥さんは、なんだかフラグみたいだな、と苦笑いした。ぽかぽか陽気の快晴で、上着を脱いでも大丈夫なくらいだった。この二ヶ月、たった二ヶ月を過ごした四人の顔のそれぞれに滲む憔悴、そのなかでヒデさんだけ全く変わらないように見えたことなど、書いておきたいと思っていたのに書きそびれたことはいくらでもあるけれど、それでいいような気もする。写真のように要点をおさえた叙事は、ほかに得意な人がいくらでもいる。でも、それでいいのだろうか。その場であったことをあったまま伝えるというのは、誰でもできるようで誰にもできない。なるべくそのままに即した形で書くということの困難を、ただ回避しているだけではないのか。

僕は音痴というか端的にリズムというものがうまく掴めない。だからといって私的な物語へと回収していくような言説も嫌いで、とはいえ語りの方法をそのようなばかげた物語化しか持たないままここまで来てしまった。だからポップカルチャーとしての音楽との距離感がよくわからないままだ。本を読むときにそこに書いてあることを書いてある通りに読むように努め、映画を見るときそこに映し出されたものだけを見るように自分を律するように、音楽もそこに鳴っている音だけに注意したいのだが、その能力がない。なので、来年は素人くさく自分の体を動かしてみて感覚を探りたい。カラオケ特訓の約束はあるが、挫折する手前で頓挫したことしかない楽器にも手を出してみたいがうまくいくイメージがまったくない。

午前中はほとんど寝ていた。午後は部屋の掃除。本をあちらからこちらへと移動させたり、本以外のものをこちらからあちらへ移動させたりした。夕方からお散歩。おめでたそうなお酒を買ったり、100均をひやかしたり、スーパーをはしごしたりする。サイゼリヤで豪遊しようと思うが、メニューが変わっており、ふだん頼むものはだいたいあるようなのだが何かが物足りない。何か大切なことを忘れてしまったような気がする、でもそれがなにかはわからない──そんな切なさがある。別の宇宙で僕たちはサイゼリヤととても大事な約束をしたのかもしれない。もちろんそれは不可知で、なんだか盛り上がりきれなかったな、という気持ちでそそくさと店を出る。別の100均をひやかしたり、別のスーパーをはしごしたりする。そしてとくに何も買わないまま帰ってきて録音。たくさん喋ってしまった。ずっとこんな感じなのだろう。たくさんおしゃべりをしたので満足して、一日が終わる。なんだかあっという間で納得がいかないが、昼まで寝ていたのだからそりゃそうだろう。

今年の柿内賞を考えるために読書リストを見返していたのだが、どうも今年は記録の漏れが多いようだ。出先で隙間時間にKindle で読んだやつなんかは特に溢れていそう。そして、それはもう思い出せない。サイゼリヤの過去のメニューたちと同じように。何かが足りないことだけがわかって、そのほかのことはなにも──

柿内正午(かきない・しょうご)会社員・文筆。楽しい読み書き。著書にプルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、いち会社員としての平凡な思索をまとめた『会社員の哲学』など。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。