2024.01.13

『「プロレス」という文化』を読んで、往年のプロレスファンの持つ屈託というものはなんだか根深そうだなと思う。ふと検索して見つけた「History of professional wrestling」という眉に唾をつけて読むべきWikipediaの英語記事を読みながら、英語圏で(たぶん)一般的なプロレス史観をスケッチしてみる。

19世紀ごろ、それまで民衆間に普及していたfolk wrestling が大陸各地で競技や見世物として洗練されていく。フランスの興行師ジャン・エクスブロワ発案のGreco-Roman つまりギリシャ-ローマ形式は競技性を強調する。これは下半身へのアプローチを禁じるもので、このルールのある取っ組み合いがヨーロッパ各地へと伝播していく。もう一方に英米の旅芸人たちによるcatch-as-catch can style があり、こちらは腰から下への攻撃もよしとするフリースタイルである。両者が合流していった先、1896年にはオリンピック競技として近代スポーツへの生成を遂げるのだが、これはまあよい。僕としては、英米のプロレスがエド・ルイス、ビリー・サンドゥ、トゥーツ・モンドという人物らによって時間制限の設定や、華麗なホールド技、レフェリーの目を盗んでの反則などの発明がもたらされ、徐々にエンターテイメント色を強くしていったという1920年代の動向が気になる。小人の登用や凶器の導入などもこのころだそうだ。

興行としてのプロレスは第二次世界大戦期には一気に衰退し、1940年代から60年代にかけて第一の黄金時代を迎える。スペインで映画スターでもあったエル・サント、ラジオやテレビで人気が爆発的に拡散した力道山に象徴される時代である。彼らの退場により一時は下火になるも、第二の黄金期は80年代半ばケーブルテレビの誕生と並走するように現れる。このあたりで映像メディアに最適化された大衆文化としてキャラクターやストーリーを強調する身振りが完成を見ると考えてよさそうだ。もちろん、ここまでは人名の読みも含め英語版Wikiからてきとうに訳し出しただけだから、あまり信頼性はない与太である。

このようにプロレスについて考えていくと、だんだんテレビに結実する視覚メディア勃興以前の娯楽・芸能の受容史へと関心が広がってきていると気がつく。各地を周遊する見世物小屋からスクリーン・ブラウン管への移行のインパクトについて考えたいのだけれど、いまだいい本に辿り着く検索ワードがわからない。いま、読みたいものは次のようなものだ。

その一。19世紀の大陸におけるfolk wrestling のあり方から、1920年代の欧州諸国で盛り上がる興業志向によるキッチュ化への変遷。(娯楽・演劇・芸能としてのプロレス史)

その二。力道山の試合をラジオで聴取するという体験の当時における感覚が、テレビというメディアによって促されるキャラクターやストーリーの強調によってどう変容していったか。(メディアの変遷と観客の感覚の変容の相関、プロレスの受容史)

こうやって自由研究の計画を立てている時間が楽しい。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員・文筆。楽しい読み書き。著書にプルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、いち会社員としての平凡な思索をまとめた『会社員の哲学』など。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。