銀行での事務も大詰め。契約書についてはすでにいつくも作成しているので、きょうのところは三、四枚で済んだ。先日の銀行はあれこれと説明してくれたり、営業があったりと手厚かったが、今回はあくまで立ち会いという位置づけらしく、対応もあっさりしていた。不動産屋と司法書士から簡潔な説明を受け、両者と取り交わす書類をちょこちょこ書き、窓口わきに設置されたすこし特殊なのであろうATM みたいな機械の前に立ち、行員のいうとおりに操作するとすべてが終わった。一時間もかからない。めでたげな管楽器も鳴らないし、拍手もない。あ、じゃあ、ありがとうございました、と解散する。大きな額が動いたはずなのだが、すべては帳面上でだけの出来事であまりに実感がない。せっかく町まで出たし、と映画館にふらっと入る。ちょうど開場五分前だった『遺言 奇妙な戦争』を観て、劇場を出てすぐさま再販される『アワーミュージック』のBlu-rayを予約した。ゴダールはそんなに見ていなくて、そのくせ『アワーミュージック』はやけに好きだった。だから今回の作品が主に依拠するのがこの作品で、おおっとなった。上演時間は20分。だからこそ強いられる注視。これが美術館の展示だったら通り過ぎていたかもしれない。映画として提示され、劇場の椅子に腰かけてスクリーンとして見るからこそ実現される注意のあり方。こういう蛮行は、これから出てくる作家たちにも許されるものだろうか。目の前の中華屋でラーメンを啜り、また映画館に戻る。はしごするのだ。かかっていたのは『aftersun』だった。ゴダールの言語を浴びたあとだからこそ、非言語的な表現の豊かさが沁みるし、楽曲の過剰さに鼻白みつつも直截に感動する。過去や他人との距離がいい。どうあれ共感などしようがないのだ。できるのは、思い出し、読み直すことだけ。「わからない」ということ、その汲み尽くせなさ。それでも繰り返し並べ直し、再生すること。ゴダールのセルフィーを彷彿とさせる、鏡像の複層化に満ちた画がたくさんあって、それがそのまま映画自体の内容となっている。よい映画だった。
せっかくなので現地の確認に行く。写真を撮っては奥さんに送り、直すべきところと残したいところについて相談する。窓からの日差しを浴びながら、ごうごうという風の音を聞くともなく聞く。さすがに疲れた、そう思う。買い食いしながら帰宅して、昼寝する。
夜は十何年ぶりに再会する従弟、そのパートナー、妹とその夫と食事。奥さんもずいぶんよくなって一緒に楽しむことができた。妹の夫の社交力の高さにいつも感心する。なにかの作品の名を持ち出すだけでなにかを共有できたような気分になるから、やはりエンターテイメントとはすごいものだなと思う。料理も美味しかったし、楽しかった。電車に揺られて帰って、ばたんと寝込む。
