八時に起きると午前中にできることがたくさんある。コーヒーを飲んで、シチューを温め直して食べる。バスに乗って、ショールームであれこれ相談して見積もりをとる。すこし歩いてハンバーグランチをもりもり食べる。これだけやっても昼過ぎで、奥さんと解散して用事に出かけるころには、もう今日はいいかな、たくさんの行為をやったよ、という気分にすらなった。それでも午後は午後でやることがある。盛り沢山だ。張り切ってメールを送ったり作業する。
ふとポイエティークRADIO の初期、つまり2020年の七月に奥さんに相手してもらわずひとりで喋っていたころの回と、最新の回とを聴き比べてみたのだが、僕は随分としゃべるのが上手になっている。相変わらずだらだらはしているのだが、声に固有の調子がある。初回などぶつぶつ声も小さいし、なんだか泣きそうなくらいで、心細さが伝わってくる。喋っていることの大したことなさは変わりようがないのだが、聴いていてそこそこ楽しげなのは今のほうだろう。あるいは、毎週の調子の良し悪しが声としてこつこつ記録されているだけとも言えそうで、ある程度まじめに振り返ってみれば自分の気分の波をなかなかの精度で可視化できそうだ。
帰り道にさくっとMacBook を買う。10年前のPro のスペックはもうAir で余裕っすよ、ということだったのでメモリを拡張したM2 のやつに決めた。トイレもお風呂もなんでもかんでも、日進月歩ですごくなっているんだなーと感心する。もうじゅうぶん便利だなと思っていたので、現在地の至れり尽くせりな感じに驚くばかりだが、もう二十年経ったころどれがどれだけ使い物になるのだろうとも訝しく思う。『ダンジョン飯』のセンシが抱く魔法への疑いを思い出す。10年前のMacBook Pro からの引き継ぎはとても簡単に二時間足らずで完了して、もうこうして新しい方のMacBook Air で日記を書き出すことさえできる。いちいちログインをし直すことすらしなくていい。すごい便利である。悪くない。