ぱっちりと七時前に目が覚めて、カーテン越しの薄明かりで『サイボーグ魔女宣言』を読んでいた。さすがに暗く、Kindle で買った読書会用の本に切り替える。うかうかしていたらもうすぐで、まだ読み始めてもいなかった。七時過ぎにはベッドを出て、『サイボーグ魔女宣言』読み終え、冊子の編集作業を進め、時評の草稿を書き上げる。掲載用のものと一緒にB面もあらかた仕上げてしまう。けっきょく読んだ創作すべてについてコメントを書いた。朝食を済ませて〆切仕事の目処をつけ、富山行きの荷造りをする。土壇場で前入りを決めた。あすは退勤後に出発する。読書会本を休み休み読んでいく。哲学入門疲れがある。もういい加減、対外的な門の紹介はいいよ、という気持ち。ひとまずざっと目を通すつもりが、なかなか進まず難儀する。こういう難儀をせずに済ませるために手を動かせというのが会の趣旨のはずなのだが。
『二人のデカメロン』のキラキラステッカーが届く。想像以上にスタイリッシュでごきげんな仕上がり。ひととおりキラキラさせる。息抜きに読んだ新田佑梨『演劇のための演技論』がとてもよかった。俳優が演技を準備する際に考えていることが平易な言葉で説明されてる。どこで、何を、何のために演じるのか、本書で扱う「演技」の枠を定義する第一部、上記の設定をふまえ実践のためのレッスンを試行する第二部という構成もすっきりわかりやすい。あくまで「偏った」「わたしの考え」であると何度も断りつつ、少なくない人が利用可能なものを目指していると感じた。その点で『会社員の哲学』との親和性も感じたが、はるかに使い易く、完成度が高い。演技観も納得のできるもので、観客にとってもよい教科書になると思う。自身がふだん行っていることというのは、当事者の自覚よりも他の当事者間での差異こそが目につくもので、あるいはあまりに自明なことのようで、内在的に普遍をめざしてものを書くのは躊躇いや恥ずかしさが伴うものだし、理論を明文化してしえば日々の実践に成否を問われることになる。勇敢な本であり、野生の入門書である。
異様に早起きで午前中からてきぱきと用事を片付けて行ったおかげでずいぶん充実した休日だ。夕方早くからコロッケの仕込みまで済ませてしまう。コロッケは作ったことがなかったので作ってみたかった。デパ地下のまんまるした豪勢なやつにしてやろうと欲張った結果すこしはみ出た。牛がなかったので鶏ひき肉で代用したのだがかなりおいしくできた。自分がおいしいと思うものを思うように作れるというのは自分に満足できていい感じ。
『NOIZ NOIZ NOIZ #2 』の小特集は「ヨルゴス・ランティモスとは何者か」。読む前に観ておきたいとも思うほどには気になっているのだが、一本も観たことない。ということで夕食後に『聖なる鹿殺し』を奥さんと鑑賞。なんじゃこりゃ。ねっとりとしたズームに不穏な劇伴。奥さんは『13日の金曜日』みたいだったと言っていた。とにかくカメラの位置が低い。地を這うような視点から中央に据えた背中をじっとりと追いかけるロングショットと、斜めから見上げるバストショットが執拗に繰り返される。かと思えば不意に背中を上方から見下ろすショットも挟まれる。左右の景色が対称になっていて、人物を前へ前へと押し出すように消失点を強調するからより狭苦しい印象を与えるのだが、ふいに極端に高い位置から遠くに対象を捉えるショットがあり、出来事は決定的なはずなのに、距離がその切実さを消失させてしまう。そもそも撮られる人物全員の表情筋が機能していない。コリン・ファレルとか顔のほとんど毛だし。しつこく追いかけられる背中ばかりが雄弁で、淡々とした表情からはとくに葛藤も激情も読み取れない。最後まで自由意志の重荷と向き合おうとしない顔は、なにも表していない。表すものかという顔をしている。目を背けているから背中を追われる。雄弁な背中を。唯一最後に振り返る人物は、しかし何と対峙していたというのか。スパゲティのシーンがめちゃくちゃ厭で最高だった。二〇時から始めたのに、観終える頃にはぐったり疲れた。