2024.05.26

今日の宿はモーニングがついているので楽しみにしていたはずなのだけど、ぐっすり寝こけていたら提供時間の九時五分前で、間に合わなかった。それだけよく寝れたということで満足だった。中島閘門が体験できる水上バスの時刻表を調べて、ひとまず富山駅に出る。繁華街の真ん中の宿だったから、午前中は薄汚れた寂しさがあっていい。夜にはまた楽しげになる。駅の広場ではもうBOOK DAY とやまの二日目が始まっている。きょうの賑わいはどんなものだろう、一日目よりも売れに売れていたらいいなと思う。お土産を買って、コインロッカーにスーツケースと一緒に預ける。おにぎりを買って急ぎ足で環水公園に向かう。

宿を出る時は雲ひとつない青空だったし、町の背景に立山連峰が確認できた。水場に至るまでの道は広々としていて、通運のための道の名残が感じられる。路面電車の効果もあろうが、強いて言えば函館を参照するようにして歩いていた。この日いちにちの印象として、富山は至るところにベンチがあってよかった。道幅が広くて直線も多く見晴らしがよいから目的地が見えてからもずいぶん遠く、くたびれたな、と思うところにちょうどよく休めるスポットがある。車優位のようでいて歩くリズムで作られている町。

出発の数分前にチケットを買うことができて、岩瀬行きではなくて中島閘門をくだりのぼりして戻ってくる周遊コースだった。閘門というのは水のエレベータで、高低差のある水流を渡すために設けられている機構なのだが、ふたつの門の開閉で水嵩をコントロールして行き来するというものなのだそうだ。非常に面白そうで楽しみだった。船に乗るというのがそもそも面白い。ふたりは船が好きだから。風に当たれる外の席でおにぎりを食べながら出航を待つ。外でご飯を食べるというのはなんだか無性に楽しい。出航というのは大袈裟なのかもしれないが、適した言葉を知らない。富山は随分と涼しく太平洋側と気候の違いを感じるし、くしゃみがとまらないので別な花粉が飛んでいるのかもしれない。たまらずマスクをつける。デッキにいると船内でのガイドの声は半分くらいしか聞こえないが、資料や案内板に目を通せばだいたいのところはわかるだろう。川縁には遊歩道があり、よくわからない彫刻や壁が設えてある。ガイドによれば、歩く人がすこしでも面白いように景色の変化をつけたいという意図であれこれ工夫をしているとのことで、それはとても素晴らしいことだ。先に書いたベンチもそうだが、単調になりがちな歩行環境への目配せが利いている。ガラス産業も盛んらしく、橋の欄干にはステンドグラスが嵌め込まれていたりもする。これはあとあと見かけた橋でもいくつかあった。いよいよ閘門が近づいてくる。第一の門を通過すると背後でゆっくり閉まっていく。どのくらいの速さで降下するのだろうか。ちょっとしたジェットコースターのようにガクンといくのだろうかとどきどきして待ち構えていると、すでにじわじわ水位が下がってきていたらしく、気がつけば両脇のへりが目の高さにまで迫ってきている! じわじわと降りていくあいだ舟は身を任せるのみらしく、帆先を左右にゆらゆら揺らす。壁面にこすりはしないか心配だった。五分ちょっとくらいだろうか、ついに前方の第二の門が開き、さきほどよりも二・五メートルほど低い位置にある広い流れへと船が進んでいく。後方で黒影が跳ねる。ここからは汽水域で海水で生きる魚も入り込んでくるのだという。同席していた子供らが魚だ!と叫ぶ。僕と奥さんも、魚だって!どこだ!と見渡す。舟はさっそく引き返して、今度は第二の門が第一になってしまっていくと、さっきは第一だった第二の門の脇の水路から水がどんどん流れ込んできて、堰き止められた水が溜まっていくのに従って舟は上昇する。上がっていく方が何か直感に反する感じがあって変な感じだったが、水は常に低い方に流れているだけなのだから不思議でもなんでもないのが不思議だ。一旦下船して管理棟を見学する。風呂や寝室も併設されていて、最盛期は二十四時間体制だったことがわかる。照明がオレンジ色だったり、旧来の制御装置が置いてあったり、窓が木枠だったりするのだが、参加者がこれらはどういうことなんですかと尋ねると、昭和の雰囲気を出すためにわざわざこうしているんですと身も蓋もない。帰りは流れに逆らっているはずなのだがずいぶん早く感じる。

公園の展望塔にあがって立山連峰を見渡したりして、路面電車で岩瀬へと向かう。車内はずいぶんひろびろで、モダンだ。競輪場前で下車し、目の前をカップルが早足で歩いているのだが、おそらく目的地が同じなのだろうと見当をつけて歩いていく。ルンルンという名前のスナックがあって、うきうきといい名付けだった。きのう複数の方からここはまちがいないと教えてもらったアナザーホリデーでカレーやケーキをいただく。神棚に忌野清志郎をはじめ物故したロックミュージシャンのモノクロ写真が飾られていたり、山岸涼子の漫画が充実していたり、フジファブリックやドレスコードがかかっていたり、ラエリアン・ムーブメントのチラシが置いてあったり、数十年前のサブカルチャーのにおいが染みついた店構えでたしかに好きな感じではある。三人組のおばさま方がキャッキャとかしましく談笑していて、その内容がとにかくオタクのコンテンツ語りなので好ましかった。それから、めっちゃ金持ちの家、とこれも人に教えていただいた馬場んちを見学する。明かり取り窓から入る陽が白壁に照り返すのを囲炉裏から見上げることができるところでははあと感心した。運送業で財を成した一族ということで、ここらの物流事情について知ることができて面白い。蔵は改装されていてブリュワリーになっている。そこで軽食をとる。

競輪場前から再び路面電車に乗る。停車駅には二〇年前の萌え絵の文脈に忠実そうなキャラクターが描かれており、三パターンあって交互に現れるのだが、正面を向いた立ち絵だけ印象が全く異なり、複数の描き手がいるのだろうか。目を凝らしてクレジットを確認するのだが、擦り切れていて結局よくわからなかった。富山駅で下車し、昨日にひきつづきの出展者の皆様に簡単にご挨拶。人出は昨日並とのことで、でも昼間よりも夕方の方が盛り上がっているというのでリズムは随分違うみたい。昨晩のプロレス談義がいまも後を引いているとのことで、謎の爪痕の残し方をしてしまった。朝起きた時、奥さんは昨晩はしまったことだった、と言うので飲み会の席で大半の人と共有していないプロレス話に耽ってしまったことを反省しているのかと思ったら、もっとこういうふうにプレゼンしておけばより魅力が伝わったかもしれない、などと伝え方の反省をしており呆れたのだが、じっさいその通りにプレゼンしなおしていたので可笑しかった。

駅よりも南下したところにある水墨美術館では庭を見ながら抹茶が飲めるらしいというので行ってみたが、南側の路面電車はずいぶん古く、この差はなんなのか。なんの変哲もないトヨタの販売所が停車場の名前になっていて、ほかにランドマークはないものかと思う。抹茶が飲める茶室はとっくに閉まっていて、もう夕方だったからそれはそうだったのだろう。いちおう庭は見れるとのことで眺めて、せっかくなので歩いてみることにした。しばらくいくと城があるらしい。城があるということはこのへんは城下町だったわけで、歩いてまわれるヒューマンスケールの町である。小田原や高崎がよかったのも、やはり城があった場所で車がなくてもあれこれ回れるというのが大きかった気もする。橋を渡るあいだ視界が開けてまた山々が見晴らせる。季節や天気もあるのだろうが、ここらの山は圧迫感がなく、むしろ広々とさっぱりした気持ちになる。途中で諏訪神社を通過するのだが、奥さんが、待ってここには亀の池があるって書いてある、見ていこう、と駆けていく。池を覗き込むと人影を察知して鯉や亀がわらわらと集まってくる。なんにもあげないよ、と言いながら亀を眺める。アカミミだけでなく、イシガメなんかもいる。亀のお尻に小さな鯉がひっついていてかわいかった。満足して歩きだすとすぐに、いいにおいがする!と奥さんが肉屋を発見して、そこでコロッケとメンチカツを注文する。常連のおばあさんが入店してきて、大相撲の千穐楽だったからおそくなっちゃったわ、と話しだす。店の人は彼女をセンセイと呼び、歩くの早いですよねえ、きょうはこれもどう?とやりとりを続ける。それを聞くともなしに聞きながら揚がるのを待つ。熱々の茶色い袋を抱えて歩きだす。奥さんは我慢できずに袋の口から匂いを吸い込んで、うふふ、と笑う。きまるぜ、と目をかっぴらく。

城址公園のお堀の前のベンチで肉屋のメンチカツとコロッケを代わりばんこに頬張る。城の前に植った木にサギだろうかシギだろうか、鳥の名前はわからないが白いのが幾羽もとまっており、塒なのだろうか、寝る気配はなく、ケ、ケ、ケ、ケ、と鳴き交わしている。あれらからすれば発声は読点ではなく句点で区切るべきなのだろうか。とにかくその様子を見ながらもぐもぐと頬張る奥さんのほっぺたが愛くるしい。城址公園を散策し、ここが隠居した立場で桜を楽しむために建てた城だと知る。どうりでずいぶん攻めやすそうな立地である。水を抜いたのか、もともと水に見立ててあるのか判然としない白い石を敷き詰めた大きな楕円の周囲の獣道をずんずん探検したりした。城の斜向かいは役所だ。権力に好まれる所在。

ここまで来れば駅はすぐそこで、今朝チェックアウトした宿が見えてくる。駅ビルで夕ご飯を食べて帰ろうというので、すこし並ぶ。酒のアテの三種盛り、焼き魚定食と白えびの天丼と氷見うどんのセット、地酒の飲み比べを注文する。おいしいね、どれもおいしかったなとふわふわ酔っ払い、コインロッカーから荷物を取り出して広場に出ると、すっかり撤収が終わっていて狐につままれたような気持ち。さっきまでここに沢山の本があったのに。いいお祭りだったな。新幹線ではほとんど寝ていたから上野には五分くらいでついた。帰宅して荷解きをしてお風呂に入って、けっきょく寝るのは一時過ぎになってしまった。楽しかったな、と何度も繰り返していたが、最後はほとんど譫言のようになって眠っていった。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員・文筆。楽しい読み書き。著書にプルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、いち会社員としての平凡な思索をまとめた『会社員の哲学』など。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。